同義語とっかえひっかえ
私、会話の際にこれをするんです。
そうすると突然話しについて来れない人が一定数いる、話が混乱してわからなくなるらしい。
会話の文脈を追っているなら理解できるはずなのですが、出現した言葉だけに当たりをつけて話を聞いてるだけの人をうき立たさせることができるのです。
なんでこんな嫌がらせみたいなことをするのかというと、仕事のとき初見から3回までだけですが、相手の力量が測れるからです。
仕事には指示伝達が重要です、図面や仕様書などのハッキリとしたビジョンを表しても各自の理解力や意気込みで大きく変わってくる。
そのうちの理解力にある種の歪みとも言える少しの違いを繰り返すうちに軌道修正が難しいくらい差が発生するからです。
例えば1/100の勾配があって、1m先では10mmの違いしかありませんが、100m先なら1,000mmで、それは1mの違いになるわけです。
理解力を常々確認するには、意思疎通が図れるのかどうかということが大変重要になる、それは軌道修正が僅かで済むように、
1/100の勾配より1/10,000の勾配なら僅かですから読解力や口語の文脈が理解できるのか、凄く重要になるのです、出来上がるモノが違ってきますからね。
ここで少し違う話をすると、昨今経営には全社的なビジョンが大切だと謳われる機会が増えていると思いますが、ビジョンが社内でどの程度浸透しているのか気になるような事柄がいくつか発生して、それでは社内アンケートなどで確認しようとこれを行なってみると、従業員からは「経営者の想像しているモノが見えない」「どのように進んでいいのかが見えないから言語化してほしい」などの社員から上がってくるわけですが、
ここでお気づきの方も居られると思います。
そうです、
理解力というのは非常に個人差が大きい。
経営者と従業員の見えてるモノ違ったり、
示したはずがまだ何も見えていなかったり、
大きく乖離してしまってる現実がある。
話を一旦戻しますが、
「理解力には個人差があるので意思疎通のためには相手の理解力を知らないと伝えたつもりで終わってしまう」ということなのです。
言った言わない聞いた聞いてない論争は好きですか? 私は嫌いです、言葉足らず程度で騙されるのも立場で覆されるのも大っ嫌いですから。
そう、つもりってのは伝わってない。
そんなものは責任逃れです。
だからこそ、どのようにすれば伝わるのか、伝わるために何をしなければならないのか、それを知るべく私の場合はタイトルの「同義語とっかえひっかえ」をそれとなく行なっています。
理由がわかれば嫌がらせでも何でもないですね。
また時間の無駄と、先々で齟齬からの乖離で発生する手戻りや修正を未然に防いでいます。
無責任より親切ですらある。
実際、ビジョンを浸透させるには大変な労力が必要だと思います、一つ一つの仕事を図面や仕様書で指示しようとしても図面を見ない人もいるし、仕様書みたいな活字がギッシリだと読めない(読まない)人もいるのが現実です。
大体の人は自身の経験を基に仕事をしている、それをこちらも理解したなかでイメージすることは極力合わせる(イメージできれば、完成・完遂はできたも同然も参照下さい)許容範囲をどこかに設けて、こちらが考えているビジョンを最終的な落とし所となるように仕向ける。
しかし、無駄は極力排除する、何か問題が起こり犯人探しをするようなことにはならないよう先手を打つ。(問題解決より、なぜ犯人捜しをするのかを参照下さい)
これらが私が常に大切にしていることのために必要で行っていることです。
どんな仕事でもムリムダムラの排除を追求すると、先々、因子となりそうなことは机上レベルで排除することだと思っています。
そのためには、経営に必要な要素である
ヒト、モノ、カネのうち、
ヒトを知るためには必要なんですね。
誰かの噂とかより自身の目と耳で確認する、それを管理職にも会得させればいい。
理解力の補助として必要ならばカネをかけ、モノで見せることで理解力を担保する。
しかし、先ずは理解力の程度を知ることから始めなければ分かり得ません。
物事の順序というのは常に、ヒトから始まることを願いまして今日はこの辺りにしたいと思います。
最後までお読みいただきありがとうございます。
また、よろしくお願いいたします。