短編小説『水嵩が増す』
泣かない人は、涙を溜める器が深く大きい人だと思う。
だから、子供がよく泣くのはその器がまだ小さく浅いからだろう。
成長するにつれて、泣くことを恥じる人が増えていく。
昔は、あんなに感情に素直に従って泣いていたのに、どうして蓋を閉めてしまう人が多いのだろう。
その器に、ヒビが入ってしまったらどうなるのだろう。
ヒビ割れた傷口から、溢れ出す涙を止めることは難しいかもしれない。
でも、多くの人はその器がヒビ割れれば、また溢れ出ないよう器を空っぽにして修復し、また蓋を閉めるだろう。
そして、それを誰にも見られぬよう隠すのだろう。
そんな器を修復しても修復しても、ヒビが止まらず修復を諦めてしまった人がいた。
これは、僕らを描く作者の話。
僕らは紙の上の存在で、生まれては消え忘れ去られるようなただのキャラクター。
ある時を境に、紙の向こうの貴方は泣きながら僕らを書いている。
僕らはただのキャラクターだから、貴方に笑顔で書かれたり、時には変顔だってやったり、泣いてみたり……
それこそ貴方の手で僕らが殺されたりもする。
貴方が泣きながら描く僕らは、貴方とは反対に笑顔だった。
書いて書いて書いて書いて書いて書いて書いて書いて書いて書いて書いて書いて書いて書いて書いて書いて書いて書いて書いて書いて書いて書いて書いて書いて書いて書いて書いて書いて書いて書いて書いて書いて書いて書いて書いて書いて…
ある時、紙の向こう側に作者はいなかった。
思考の海に落ちてしまったのだ。
深い深い、暗く誰も見つけられない静寂の海の底へ。
僕らは海に入れるけれども、海底を目指すには息が続かない。
貴方を探せば探すほど、この海の水嵩が増していき貴方との距離が遠のいていく。
僕らにはわからないヒビが入った貴方のことについて、僕らは何も聞かない。何も、理解しようとは思わない。
貴方が口癖のように「自分はただの脇役だから」といつも言っていたが、僕らにとっては貴方が主役の様なもの。
貴方がいなければ、本当の僕らはここにいない。
この水嵩が減ることは無いのかもしれない。けれども、僕らはいつでも必死に貴方に手を伸ばしている。
もし、貴方が浮かんでくるのなら、その体を引き上げてみんなで貴方を抱きしめよう。
止まることのない涙を拭いながら、冷え切った体をみんなで暖めよう。
もう一度、僕らを描いてもらうために、貴方に名前を呼んでもらうために。
ヒビ割れた貴方の器は、直せないけれど。
貴方の水嵩が、これ以上増えないようにと遠い海面から願っている。