
卵を産み終えてもまだまだ元気いっぱい!鶏
鶏、飼ってます。つごう9羽。
何故9羽という半端な数なのかというと、最初10羽飼いはじめたものの、一番元気で冒険心旺盛だった1羽が、へんなものでも食べたのか、ある日を境に餌を食べなくなり、打つ手もないまま、あれよあれよと弱っていき、その後鶏小屋で冷たくなっていたためです。
飼いはじめた時の10羽という数の理由は、1日ひとパックつくれるから(母、談。ニワトリは1日1個卵を産みます)。ちなみに、10羽ともめんどり。
2023年の初め頃、卵の値段が少し上がったのを機に、従兄が「これからは自給できないと!」と勧めてきて、飼うように。
しかし、じつは、ニワトリについては、書いていいものか少し迷っていました。
というのも、ニワトリに関しては、世話をしているのは私の母で、ニワトリについて語るとなると、必然的に母の言葉を多々引用しなければいけないからです。
ちょっといけずな母。引用しただけで身元が割れそうなほど、自分の言葉で喋る人なので、大丈夫かと二の足を踏んでいたのです。
しかし、我が家にとってニワトリはもはや家族。その愛すべき生への貪欲さを、伝わるかどうかわかりませんが、書いてみたくなりました。
たとえば。
母が鶏小屋に近づけば、「なーに、お母さん何もってきたの?」とばかりに近寄ってくる。
餌をやれば、一心不乱に食いあさる。
鶏小屋から、勝手に飛び降りて、庭や畑をお散歩したり、寝そべって日向ぼっこ。
などの動作をかわいいなあと思って眺めて和んでいると、目の前でフンを落とす。
ところ構わずフンをし、フン混じりのもみがら寝床にこぼれた餌をつっつく(これにはニワトリ自身よりも、母の方が耐えられず、頻繁にもみがらを入れ替えている)。
何度躾けても(どうやって?)飲み水の入った容れ物をひっくり返す。
などなど。
そんなニワトリたちを世話しながら、日に一度は「ニワトリって頭わるい…」とこぼす母。
しかも、我が家のニワトリたちは、もう9羽とも卵を産みません。どうやら、卵を産む役目を終えたもようです。
卵を産まないニワトリに、母曰く「タダ飯」を食わせています。「いつまでタダ飯食わせなきゃいけないんだろう」と身も蓋もない言い方をしてはいても、だからといって自分が(シメて)飯として食う気にはなれないようです。
母としては、卵を産まなくなったニワトリは「もういらない」らしく、飼い続けるのは負担なようです。
とはいえ、負担と言いつつ、毎日毎日「ニワトリ、頭わるい」とぼやきつつ、せっせと世話する母。「バカな子ほどかわいい」とは、このことなのでしょう。