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【毒親記①】浮気を疑い荒れた母と、母を支えようとした小学生の私【部分有料】

私の生涯のほとんどは、毒親に縛られていました。

交友関係を制限され、頭ごなしに否定され、虐待や育児放棄もあり
学校に通えるような精神状態ではなく、中学では不登校もしました。

大学生になってからはバイト代が振り込まれる口座を親が管理しており、
生活は保障されていましたが、精神的な自由はありませんでした。

…ですが、初めから毒親としての母や父と暮らしていたわけではありません。

この記事では、思い返せば母がおかしくなった起点であった父の出張と

父の出張から始まった不穏な日々について、過去の記憶を綴ります。


■ 幸せな家庭のはずだった

私の家庭は比較的裕福だったように思います。
母の実家が会社をやっていて、毎年親戚一同で貸し切りバスの国内旅行を
していました。

父はS〇NYのエンジニアで、母は専業主婦。
マンションの11階バルコニー付きの角部屋に住み、
夏はブルーシートを敷いて、
家族三人川の字になって流星群を眺めていた思い出があります。

ピアノやバレエや英会話や知育教室など習い事を週6でこなし、
友達は少なかったですが、母の実家で年下の親戚と一緒に遊んだり
幼い従兄弟の面倒を見たりして、楽しい日々でした。

ミーハーな母は、私にブランドものの服を着せ、
テレビ局や渋谷や、とにかくキラキラした場所に連れ出していました。

ラジかるっ!という当時やっていた番組スタジオに連れていかれて
生の小島よしおに頭ピーヤ(頭ぽんしながらピーヤ言ってました)
してもらったり

生の羽鳥慎一さんと一緒に「ズームイン!」と
カメラに向かって決めポーズしたり

今思えば貴重な体験をさせてもらったなと思います。

そうしたキラキラした日々が崩れていくきっかけとなったのが、
小学3年生になったばかりの頃の、父の中国出張でした。

■ 父の海外出張

「パパはすごい遠いところでお仕事することになったの」

そういって小さい私の頬を撫でた母の表情が、
不安げだったのを覚えています。

毎晩父のために小鉢を何個も使った豪勢な料理を作り、
常に家の中をピカピカに保ち、
子供と同様に父に愛情を注いでいた母は
よほど父のことが大好きだったのでしょう。

中国出張で離れてしまっても、毎晩寝室で父とビデオ通話を繋ぎ
その日あったことを楽しげに話していました。
(私が寝室を覗くと、なーちゃんもパパとお話しよう、
と笑顔で手招きするのでした)

ですがそのような日々は、あまり長くは続きませんでした。

ある日、一枚の写真が父から送られてきたのです。

上半身裸で、腰にバスタオルを掛け
美女にマッサージを受けている父の写真です。

母は真っ先に浮気を疑いました。
あえて写真を送ることで、やましいことはしていないと
アピールをしているのだ。
これは浮気だ、と。

父のことが大好きで
かつ
もともと感情的でヒステリックな面があった母にとっては、
相当ショックな出来事のようでした。

(この頃の私は、たかが写真一つで大げさな、と思っていました。
浮気している決定的な場面を見たわけでもないし、不器用な父が
やましくないアピールで写真を送るなんて芸当、到底できないだろうと
考えていたからです。)

母は毎日画面越しに父に詰め寄るようになり
連絡を取る頻度は減り
母の笑顔を見なくなって
代わりに泣き顔を見ることが増えました。

私の知らないところで、父と母はたくさん喧嘩をしていたのでしょう。

父の顔を見ることがなくなって、私は小学4年生になりました。

■ この人は母さんの友達なの

父と連絡を取らなくなった母は、私に依存するようになっていきました。

バレエ以外の習い事を辞め、家ではずっと母の話を聞き、
泣く母を慰めていました。

徐々に家の中に服やバッグが溢れ、足の踏み場もないほどにモノを
買うようになった母。

綺麗好きを豪語していた頃の母は見る影もなく、
冷蔵庫は消費期限切れの食品でパンパンになり
台所には捨てられずに積みあがった45L袋のゴミ袋が
窓からの光を遮っていました。

給湯器が壊れてしまったのですが
直すためとはいえ外の人間を家の中に入れたくないと言って
銭湯通いが始まりました。

銭湯だけでなく、私を連れて深夜のカラオケに入り浸り
好きなだけゲーム(当時はDSライトでした)をしていいから側にいてくれと
二人でずっと一緒にいたのです。

そんな生活を半年ほど続けていたのですが、
ある時から徐々に母の外出頻度が高くなりました。

朝から身支度をして
綺麗な洋服を着て、煌びやかなアクセサリーを付けて
しばらく帰ってこないのです。

当時の自分はそういったことに疎かったのですが、
仕事や実家にいくような見た目ではないと、違和感を覚えていました。

それから母は美味しいスイーツを持ち帰るようになりました。
千疋屋のケーキに海外輸入の高級チョコレート。
私が喜ぶようなものばかりです。

これどうしたの?と聞くと
「パンダ先生っていう、お母さんのお友達が買ってくれたの」
と、目を合わせずに微笑むのです。

なにかを考えているような顔です。
でも、美味しいスイーツをくれるなら、悪い人じゃないのかな
なんて能天気なことを思っていました。

そして2か月ほどして
ついに母は私に聞きました。

「なーちゃんも、パンダ先生に会ってみない?」

久しぶりにブランドの服に身を包み、
綺麗な母と一緒に向かったのは
高そうなフランス料理店でした。

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