Aooo 「水中少女」 歌詞考察
Aoooとは
皆さんは「Aooo」というバンドを知っていますか?Aoooはボーカルの石野理子さん、ベースのやまもとひかるさん、ギターのすりぃさん、ドラムのツミキさんをメンバーとする、これから確実にヒット曲を連発していくであろうバンドとなっている。
元赤い公園、ももクロ、YOASOBIのサポートメンバー、有名ボカロP、NOMELON NOLEMONのメンバーと言ったように、各々が有名、それでいて各グループや各個人で大ヒット曲を連発している現代版アベンジャーズのようなメンバー構成になっている。
そんなAoooが華々しくメジャーデビューを飾ったバンド名を冠した1stアルバム「Aooo」に収録されている「水中少女」の歌詞について今回は考察をしていきたい。
水中少女について
水中少女はドラムを担当しているツミキさんが担当した1曲となっている。
この曲は金魚すくいがテーマの曲になっている
初めて私が聞いたのは京都MOJOで行われたエレキレストランのライブである。初めて聞いた時、そのテーマに似合う水中にいるような幻想的なメロディに透き通るような石野理子さんの歌声というAoooの世界観に溺れてしまうような印象を抱いた。
私はサブスクで水中少女が聞けるようになり何回も何回も繰り返し聞いたのだが、そんな中でこれはツミキさんから石野理子さんに向けたラブレターのような、石野理子さんのために書いた曲なのでは無いかという印象も抱くようになった。
そんな水中少女について個人的な意見にはなるが考察をしていきたいと思う。
歌詞考察
まずは曲が始まってすぐにくるこのフレーズ
溺れてしまえばいい 破れた赤い傘の下で
袖を濡らしてやってくる夜よ
いつかあたしを掬ってくれますように
このフレーズを初めて聞いた時雨の降った公園で破れてしまった赤い傘を持った救いを待っている少女を連想した。
何回も聞いていくうちに先程も先述した通り石野理子さんのための曲なのではないかという部分なのだが、まず「赤い傘」これが石野理子さんが所属していたグループ、「赤い公園」の事を指しているのでは無いかという点。そして「破れた赤い傘」「袖を濡らしてやってくる夜」 この2つから赤い公園のメンバーの一人が亡くなってしまったこと、赤い公園が解散してしまったこと、そして音楽活動をしていたグループで続けれなくなってしまったことを「夜」と表現したのではないか
いつかあたしを掬ってくれますように
このフレーズは金魚すくいの「掬う」とAoooという新星バンドで新しく音楽活動をすることになった事を「救い」として掛けているのではないかというふうに感じている。
次に出てくるのはこのフレーズである。
夏の雨が降りそうな湿度の高い夜のようなイメージが浮かぶような歌詞である。
金魚すくいというツミキさんのコンセプトからも想像しやすいがこの曲は夏をイメージして作った曲だと思っている。
石野理子さんの為の曲という観点から考察すると「丁度いいもの」これは自分が次に所属して音楽活動を続けるバンドやグループのことを指しているのではないか。それがなかなか見つからずにいた事を「夜」、「時期に雨を降らす」と言ったように長い時間を連想させるようなフレーズで強調しているように思える
その後続くのはこのフレーズである。
金魚すくいという点で考察すると金魚は魚の中でも小さい部類だし金魚すくいの金魚は箱に入れられた自分だけじゃ外に出ることも外の世界を見ることも出来ない無力さというのを表現しているかのように思える
石野理子さんの曲という点から考察すると
「世界を変える」これは音楽界に変革をもたらすような影響を与えたいがグループが見つかっていない今のままだと何も出来ないという思いを持っていたのではないか、そしてそれをツミキさんが歌詞に起こしたように思える。
「言葉は泡に終わって」というフレーズも無力感を更に強調しているようなイメージを持つので私はそう考えている。またアイドル時代の「私のことより、世界平和の話をしましょう」といったインタビューでさえ歌詞にしているのではないだろうか。
鰭を失ったとしても普段通りに美しく泳ぐしかない金魚を表現した歌詞。金魚すくいの金魚はポイが当たることで傷を負ったり鰭が破れたりすることがあると昔夏祭りの時に屋台をしていた方から聞いたことがあるが、そのように自分に降りかかった苦難などで傷を負っても普段通り振る舞わなければならないという世界を表現しているように思える。
またここでは「鰭」をグループ、バンドの事だと捉えると分かりやすいように思う。
鰭(グループ)を失ったがそれでも泳ぐ、つまり音楽活動を続けようと決心したのではないだろうか
ここは冒頭の歌詞と同じ歌詞になるが、1つ前の歌詞で音楽活動を続ける決心をし、美しく華のある活動をしたいという思いを感じる点からも冒頭部分と違い、自分を見つけてくれる、自分に合ったバンド(Aooo)が石野理子さんをボーカルに誘うのを待っているような少し前向きな気持ちを感じることが出来る。
この歌詞は冒頭、サビと繰り返し使われている「溺れる」という言葉を言い換えたような歌詞になっているのだが、「水槽」が芸能界の事だとすると時分が今まで続けていたアイドル活動が終わってしまいどんどん溺れ沈んでいってしまうような感覚に陥っているというような情景が見て取れる
ここはラスサビの歌詞なのだが
「溺れる」という単語は普段誰しもがいいイメージを持っている言葉では無いと思う。しかし水中少女のラスサビ部分では「溺れる」ことが生きている証、辛いと感じることをメリットに捉えている。
命が尽きた後に溺れることは出来ないように、辛いことを辛いと感じれる状態が生きている証ということであろう。
「夜の底で眠ればいい 呼吸を忘れなければいい」というフレーズからも生きるために最低限なこと呼吸さえしていればどれだけ辛い人生や期間があってもいつか時間が自分にとっての救いをもたらしてくれるであろうという解釈ができる。
ここで金魚すくいの点からの考察を増やすと自分の事を掬ってくれる人がいつか現れると言ったような意味で取れる
石野理子さんのための曲という観点からは
「涙が枯れ果てる程の夜」、これは赤い公園時代のメンバーが亡くなってしまい石野理子さん自身が前を向くためにかかった長い時間なのではないか、そして「いつかあたしを連れていくさ君のところへ」という歌詞は、「Aooo」というバンドで石野理子さんが奏でる音楽が君(津野米咲さん)の元へ届くというふうに表現したのではないか
まとめ
今回はAoooの1stアルバム「Aooo」より水中少女という曲の歌詞考察を行った。
このnoteは私が初めて書くnoteになるので文章に拙い部分も多いかと思いますが何卒読んでいただけると幸いです。
Aoooは個人個人が培ってきた音学経験というのをぶつけ合い、今までにない音を使っていたりするのでとても面白いバンドだと思うし、今後の音楽界に影響を与える大きな存在であると思う。
そんなAoooの水中少女、個人的にとても大好きな曲の1つなのでぜひとも聞いてみてください。