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 金曜の夜、気がつくと行きつけでもないバーにいた。暗い店内には、グラスを傾ける大人たちの静かなざわめきが漂っている。

 カウンターの端、琥珀色のウイスキーを揺らす細い指が目に入った。目を向けると、そこにいたのは紗季だった。

 柔らかな光の下、グラスを見つめる横顔は、大学時代の記憶のままだった。思わず見つめてしまう。

「……久しぶり」

 俺が声をかけると、紗季は驚いたように顔を上げた。そして、一瞬の間を置いてから、少し笑った。

「本当に久しぶりね、悠人」

 五年ぶりだった。別れてから、偶然会ったことすらない。それなのに、こうして何気なく言葉を交わせることに、どこか安心する自分がいた。

「ここ、よく来るの?」

「たまにね。仕事帰りにちょっと飲みたいときとか」

「そうか……」

 俺は彼女の隣に腰を下ろし、バーテンダーにハイボールを頼んだ。ウイスキーを前にする紗季を見て、ふと昔のことを思い出す。

 まだ大学生だった頃、一度だけ一緒にバーに来たことがあった。背伸びして頼んだウイスキーが苦くて、結局ふたりで笑いながらカクテルを飲み直した。あのときは、まさかこんなふうに再会するとは思ってもいなかった。

「今、彼氏とかいるの?」

 唐突に聞いた俺に、紗季は少し目を細める。

「どうだと思う?」

「うーん……いそうだけど」

「正解。でも、今はいない」

「そっか」

 予想外の答えに、なぜかほっとする。俺はグラスを傾けながら、軽い調子で聞いてみた。

「じゃあ、俺と同じだ」

「悠人も?」

「ああ、最近、婚約破棄した」

 思ったより軽く口に出せた。でも、紗季は少し驚いた顔をして、それから黙ってグラスの中の氷を回した。

「……そっか」

 それ以上、何も言わない。慰めの言葉も、気まずそうな視線もないのがありがたかった。

 グラスの氷がカランと鳴る。静寂が落ちる。なんとなく、それを打ち破るように言葉が出た。

「なあ、今さらやり直すのって、アリかな?」

 酔った勢いで出た言葉だった。冗談半分、でも少しだけ本気。

 紗季はじっと俺を見つめ、それから小さく笑った。

「それなら、一ヶ月だけ付き合ってみる?」

「……は?」

「期限を決めて付き合うの。一ヶ月だけ」

「そんなの、意味あるのか?」

「さあね。でも、一ヶ月あれば何か分かるかもしれない。私たちが本当に終わったのか、それとも……」

 言葉を切り、彼女はグラスのふちをなぞった。

「ただの気まぐれだと思うなら、やめておく?」

 挑発するような声だった。

 試されているのかもしれない。俺がどうするのか、彼女は見極めようとしている。

 五年前、俺たちは互いに忙しさを言い訳にして、少しずつ距離ができた。喧嘩らしい喧嘩もしないまま、自然に別れた。でも、こうして再会した今、まだ未練があるのかどうか、自分でもよく分からない。

 ただ——

「……分かった。一ヶ月だけ、な」

 そう答えた瞬間、紗季が微笑んだ。

「じゃあ、一ヶ月間、よろしくね」

 そう言ってグラスを掲げる。俺も応じてグラスをぶつけた。

 乾いた音が、静かなバーに響いた。


あとがき

毎日投稿してると1日休むとなかなか次の日、投稿する気になりませんでした、、、
毎日投稿してる方はどうしても投稿出来なかった翌日はどうやって投稿モチベ保っていますか〜??

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