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易経と古代中国史4  伏犠と網を作り出す知恵

易経の理解に役立つ古代中国史のトピックをご紹介します。

前回、中国古代神話の帝王、伏犠[ふっき]が易を作ったことについてご紹介しました。

伏犠[ふっき] は、それ以外にも、さまざまな文化を人類に教えました。

その一つに、縄を結び付けて網を作り出す知恵を民に教えた、と易経繋辞伝では、伝えられています(※1)。
そして、この縄を結び付けて網を作り出すというアイディアは、64卦の離為火の卦のカタチをヒントに導き出したといわれています(※2)。

離為火は下記の卦。

つまり

が二つ並んでいます。

目の形に似ています。
目が二つ並び、網の目が連続する形に似ている。

ここから、縄を結び付けて網を作り出すというアイディアを導き出しました。
そして、人類は、網の作り方を知ることで、魚などの捕獲・採取に用いたり、容器として物を入れる用途に使用することができるようになりました。

この狩猟の仕方は一人ではできません。
皆で力をあわせて協力する必要があります。
たくさん捕獲して皆で分けていく必要があります。

http://ktymtskz.my.coocan.jp/S/nihon/yamato3.htm
「日本の国ができるまで」
3章原始時代の生活 / 北山敏和の鉄道いまむかし

このサイクルがうまく回るように、より効率的な食物獲得のために皆で知恵を出し、経験値を積み上げて改善をしていったのでしょう。
そうした営みの中で、仲間意識、同族意識を持つようになりました(※3)。

蓄積した食物を管理するためには記録が必要となります。
まだ文字のない時代。
縄の結び目を作ることで文字の代りをしました。
繋辞下伝は次のようにいいます。
「上古は縄を結びて治まれり。」(※4)。

世界史の教科書(※5)によると、私たちの祖先 ホモ・サピエンス(新人)が出現したのは6万~5万年前。
このホモ・サピエンスは、多様な目的に応じた小型の石器や低温でも強度が変わらない骨や角による槍、釣り針などの骨角器を作り、狩猟をするとともに、網を用いていたことが遺跡からわかるのだそうです。

アジア最古のホモサピエンスの化石は北京郊外の周口店の洞窟から発見された上洞窟人(じょうどうじん)のものが有名です。

この上洞窟人に、火の使い方や縄を結び付けをを教えたのは、あるいは伏犠だったのかもしれません。


<参考文献>
「古代中国」貝塚茂樹、伊藤道治

※1)繋辞下伝「結繩を作して網罟[もうこ]を爲し、以て佃[でん]し以て漁[ぎょ]るす。蓋[けだ]し諸[これ]を離に取る。」本田「易」576頁。

※2)離為火は、徳として「麗く(つく)」特性を有します(本田濟「易」10頁、264頁)。
これは獲物が網にかかる意味を暗示するともいわれています。

※3)ユヴァル・ノア・ハラリ著「サピエンス全史」によると、私たちの祖先であるホモ・サピエンスが、そのほかの人類(クロマニヨン人)と比べて体力は非力だったにもかかわらず地球を征服できた理由は、「言語」と「虚構を信じる力」があったからだそうです。
だから、目の前のか弱いウサギを取るのではなく、大きなマンモスを倒そうと、大きな妄想を抱いて協力して罠を作ったり武器を作ることができ、だたからこそ生き残ることができたのだそうです。

その「虚構を信じる力」が、集団の共同意識、氏族意識から、宗教になり、ナショナリズムになり、金になり、資本主義へと変化しながら今も続いています。
妄想ができないクロマニヨン人にとっては、目の前のウサギに目をくれず、みんなで穴を掘ったり、罠を取ったりする原始人も、雨乞いの祈りを捧げたり、易占いをする古代人も、PCの箱と睨めっこし「Bullshit Jobs!」なんて舌打ちしながらエクセルに数字を打ち込んだり、人間関係で悩み自らを追い込んで病んでしまう現代人も、地に足を付けた生き方のできない、妄想ばかり大きい奇々怪々な生物に見えることでしょう。

※4)その続きとして繋辞下伝「後世の聖人、之れに易(か)うるに書契(文字や割符)を以てす。」(本田濟「易」582頁)、文字が生まれたのです。

※5)詳説世界史研究 山川出版 10,11頁。



*なお、今まで紹介した易経に関する歴史の話、占例、小話の一覧をまとめたものを下記サイトにリスト化しています。一部アメブロの記事ですが広告が入ってしまいます。今後、少しずつnoteに移転しますのでしばらくお待ちください。

該当する本田濟先生の「易」のページも記載していますので、ご本を読む際にお役立てください。




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