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若きヒポクラテスの卵たちはどうなった?

台風崩れの暴風雨一過で抜けるような晴天の「文化の日」、新幹線に乗って岡山から目的地へと移動した。

卒業後44年になるが、前回から9年ぶりの医学部同窓会出席のためである。

大学病院も新装なったということで、そこへの見学を提案したが、あいにくと休日であり、対応できそうにないと幹事から連絡があった。

◆ 「若きヒポクラテスたちの卵たち」のある一日

同窓会までの時間は十分にある。そこで、高校時代からの友人S君を誘い、住まいが隣で親密となったK君の自家用車に乗って、学生時代の痕跡を探る場所への小ドライブと相成った。

自分が学生時代に住んでいた三カ所は、当然のことながら、既に取り壊されている。

最初に下宿したお宅の跡地には新築の家が立ち、K君と隣り合わせの木造アパートがあった場所は、コンビニエンスストアの駐車場となっていた。(写真1)

写真1:かつてのアパート跡

車の中では、昔話にひとしきり花が咲く。

***

1978(昭和53)年、医学部5年生になったある土曜夜の出来事である。

K君の部屋でマージャンをすることになって、部屋を訪ねると、いつものメンバーではないT君とN君が当日のメンツだった。

夜中の十二時近くになった頃、お腹が減ってきたので、この二人と一緒に食べに行こうということになり、三人で外に出かけたところ、駅前のスナックしか空いていなかった。

やむなく、2階にあるその店に入り、焼き飯を注文した。食べ終わって、請求伝票を見ると、一人2,000円だった!!「高すぎるよ」とT君が言うと、カウンターの奥から、「何か文句あるのか?」と怖そうな人が出てきた。

私は、咄嗟に、「これはヤバそうだ」と判断して、お金をテーブルにおいて、一目散に扉を開けて外に飛び出した。

今来た道をそのまま帰ったら、K君のアパートが分かってしまうと考えたのだろう。全く違う方向に走り出し、しばらく身を潜めた後、帰ってみたら、先に帰っていた二人は押し黙ったままあり、何があったか推して知るべしだった。

数年後の同窓会では、この一件は笑い話になっていたので、私の思い過ごしだったかも知れない。

基礎医学の講義がようやく終わり、臨床医学の講義が始まって、いよいよ臨床実習がはじまろうという不安と期待が混じった頃だったと記憶する。

「若きヒポクラテスの卵たち」の、束の間だが少し苦い青春の一コマだった。

***

昼食の場所としてK君が選んでくれたT食堂は、まさにその事件が起こった場所の近くだった!

評判通りの美味しい店で、2,000円でお釣りがくる程度の代金だったが、40数年前の笑い話に繋げてくれるとは、K君の演出もなかなかのものだ。

◆ 「若きヒポクラテスの卵たち」はどうなった?

昼食を終え、大学病院が併設された医学部がある市内の高台に行ってみると、大きく様変わりしている。しかしながら、自分たちが講義を受けた階段形式の講義室はそのまま残っていたので、当時の景色をすぐに思い出すことができた。(写真2)

写真2:当時のままの臨床講義室

夕方、同級生の約三分の一に相当する40数名の出席で同窓会は始まった。

これまでにも、卒業後の節目には、同窓会をやっていて、皆現役であった頃は、教育機関に務める医師、勤務医、開業医と立ち位置ははっきり違っていた。

今回は、常勤を終えた勤務医の多くは、非常勤での勤務となり、開業医の間では借金返済を終え、後継者問題を話題にするものが多かった。

各自の立ち位置が以前よりも近寄っている感じがして、それぞれギラギラした印象が減ってきたなと言うのが偽らざる感想だった。年期を重ねてきたということか。

図らずも、道半ばでかの世に旅立っていった彼ら、やんごとなき急用のため参加できなかった彼らに比べ、少なくとも、会に参加できた同級生との再会は、奇跡でもある。

「これまで精一杯生きてきたのだから、これからはご褒美の人生を楽しもう。そして、会える時には、又会おう!」

六年間、苦楽を共にした「ヒポクラテスたち」の合言葉となった。

◆ テレビドラマ「白い巨塔」を振り返ってみると

医療ドラマの金字塔として名作の誉れ高い「白い巨塔」(正編1965年、続編1969年)は、次期教授の野心に燃える主人公「財前五郎」と、患者第一を考える同級生の「里見修二」を対照的に描き、自分も医学生時代に貪るように読んだものである。

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