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奈良県橿原市の忌部町の位置が気になる。

以前、奈良(大和)から見た忌部と徳島(阿波)から見た忌部について、1つ気がかりなことがあります。奈良県橿原市に忌部町が有ります。忌部って阿波だけではないんです😅

黄色い三角形の中心が藤原京

大和三山の位置を結んだ三角形の内側に藤原京があります。今で言う、街中です。今で言う大きなお墓(古墳)は、ヤッパリ郊外にあった方が良いもの。(例外もありますが)
そこで上の地図の三角形の内側には、地図を見る限り、大きな(お墓)古墳(青色のピンで示しました)がありません。この三角形は、畝傍山、耳成山、香具山、の大和三山の頂点を結んだ三角形です。

奈良県橿原市忌部町、忌部山、天太玉神社、忌部族の拠点の位置が気になっています。
地図のA地域が拠点だった蘇我氏、
周辺のB地域にある天太玉命神社、忌部氏の拠点。
隣ということは、蘇我氏と忌部氏は、交流があったようですね。交流と言うよりかなり関係が深かったようです。
C地域の忌部山遺跡も同じ曽我川沿い周辺ですし。
忌部山古墳は徳島に有ります。忌部山遺跡は、奈良です。

また、阿波にとって重要な民族である忌部族なんですが、忌部町、忌部山、天太玉神社、の位置って藤原京から、なんか中心地ではないです😂

現代では、大きな会社の本社は、東京なのに、❪例外もかなり有りますが❫

蘇我氏や中央忌部ですら、郊外。
ましてや阿波忌部が、天皇の祖先とは考えられません。個人の感想です。

ただ単に当時の実力者である蘇我氏のお隣さんなので郊外に居る、と理解していれば良いものなんですかね~。

これは、あくまでもくれぐれも、ただ個人の妄想ですからね、意見違っても怒らないで下さいね。





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