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忌部を阿波(徳島)から見るのと大和(奈良)から見るのと比べてみる😅



忌部ってどうなんでしょう?
まず、忌部とは、天皇が行う祭祀を担っていた一族、民部=大和に住んでいた人達。品部=大和意外の地方に住んでいた人達。

当時、天皇は、奈良にいます。
忌部族も近くに居るのが当たり前ですね。
奈良の橿原市神武天皇陵と言われている古墳ミサンザイ古墳近く橿原市忌部町に天太玉神社があり、忌部の先祖と言われている天太玉命が祀られています。



奈良から見た忌部


奈良県橿原市天太玉命神社



一方、品部=地方に住んでいた職人集団の忌部族が、阿波、紀州、讃岐、出雲、伊勢、安房、などに住んでいたようで、それぞれ阿波=麻、布 : 紀州=材木 : 讃岐=竹や盾 :
出雲=玉 :  伊勢=鍛冶 : などを職人たちが手配して、奈良の忌部に届けていたようです。

今で言うと、国(天皇)がトヨタ自動車(忌部族)にクラウン(祭司用の道具)を発注。
トヨタ自動車が、下請け会社(忌部族品部)に部品を注文、と言う感じでしょうか?
この忌部族の「商品部」の人達の先祖は、品部と言うらしいです。

民部の忌部族の先祖は、天太玉命。
品部の阿波忌部族の先祖は、天日鷲命 を先祖としていたようです。

それで、忌部族は、当時飛ぶ鳥を落とす勢いの中臣=藤原に押され衰退していったようです。

というのが、大和から見た忌部族についてですね。

あくまでも、天皇の祭祀を担っていた一部の一族。です。




山崎忌部神社

阿波から見た忌部


今度は、阿波から見た忌部族。
忌部族の評価は、派閥?によって違うよです。どちらも阿波からの忌部族を見ている団体は、
奈良の民部としての忌部族、
他の品部としての、紀州、讃岐、出雲、などの忌部族には、ほとんど触れないようです。

ある説によっては、まるで忌部族は、阿波のみで、天皇の祖先では?と言っているぐらいです。
そちらの説の講話を聞いていたら、素直に阿波から始まったと感じます。


それは、古語拾遺=古事記で、阿波忌部が記した「古語拾遺」を元にしているからでしょうか?古語拾遺は、忌部族(斎部広成氏)が藤原氏に移った祭祀を担う権力の復権を願って書かれた物らしいんで、阿波忌部が有利に記されて居るのは、当然です。

天皇の祭祀を中心となって担っていた一族。
もしくは、天皇の先祖?の一族。


皆さんは、どう思いますか?
妄想楽しいですね。



どっちもどっち😑

気分が悪いのは、
違う意見の人達が言っている意見に対して否定的になるのは、説として必要なのかもしれませんが、小馬鹿にするような意見はやめた方がいいですよね。見ていて不愉快になります。
一般的な九州説、近畿説、の戦いも気分がいいもんではないですが、対立もお互いにとって必要かもしれません。

対立も必要かもしれませんが、阿波説に対しての意見は酷い😱
ことばの節々が喧嘩売ってるとしか思えないような否定的な事、そこまで言うことはないでしょと思う意見があります。

なぜそこまでわざわざ否定するんでしょうか?

否定するのに必死ですね。

阿波説主義者でなくても、気分がわるくなります。
余計に、怪しくなります。
やめた方がいいですよ。




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