【まろ狐物語】私は幼少時代より都合のいい存在だった
私はとある地方の田舎で2人姉妹の次女として育った。
姉は優秀で勉強•運動•絵など何をしてもそつなくこなす人で、人あたりもよくコミュニケーション能力もあり背も高くおしゃれで周囲から好かれ、褒め称えられる人だった。
反対に私は勉強•運動•絵などあまりできなく、そして内向的で友達も少く、いじめられるような人間だった。
そんな姉妹は、当たり前に比較され姉は親や親戚、学校の先生などから褒められ優遇され期待されて育ち、私は誰からも期待もされず、馬鹿にされ忘れさられ、将来の都合のよい介護要員になるように育てられた。
これは主観で実際に言われたことではない。
だが今まで親から言われたこと、されたことを振り返るとそう感じるようになった。
被害妄想かもしれないし、被害妄想じゃないのかもしれない。
どちらなのかは感じ方次第。
以下より実際にあったことを書き記していく。
【忘れさられる】
私は忘れられることが多い。
祖母の家でトイレに篭ってたら父親に忘れて帰られたり、親戚で集まると必ず誰かと言われ、姉や従兄弟はお菓子が貰えるのに私だけ貰えないことがあった。
また、商業施設に私を忘れて置いて帰られたこともある。
歩いて家に帰ったらすでに親が平気な顔をして私のぶんを含めたご飯を用意していた。
今思うとサイコパスの様に感じられるが当時は「忘れて帰ってしまった」と言っていた。
これらすべては幼少時代に経験したことで思い返してみても家族、親戚からは私は影が薄かったのか、どうでも良かったのか忘れられる存在だった。
当事者達はこのことを一切覚えていないだろうが…
【親の言動】
親の何気ないひと言に私は軽視されていると感じていた。
私が中学生のとき早朝に父と母は話していた。「まろは馬鹿だから祖母の家を継がせて祖母の面倒をみさせればいい」と。
何の経緯でこの話が出たのかよく分からない。だが父親からみた私も馬鹿で将来の都合の良い駒なのだと感じた。
他にも大学生の時の父親は借金があったためスマホを分割払いで買い替えられず、まろ名義で契約させられた。その時の父親の発言は「わしは頭がいい。この発想はわししか思いついてない。まろは馬鹿だから一生思い浮かばない。」と。
色々とつっこみどころが多いが父は本人に言わなくていいことを言ってくる。
私が馬鹿だと。そもそも娘の名義を借りることに関しては嫌だと断ったが母親に怒られながら強制的にさせられた。
父からは祖父母を含めた自分たちの介護を私に押しつける発言や馬鹿にする発言を今まで何度もされた。
姉には言わないのに、私だけ。一回姉に相談したとき、姉は私に「お前は馬鹿だし、何も期待されてないからだ」と言われた。
この話を聞いても姉は父親を酷いとも思っていなかった。
我が家は母も父も姉の信者で姉の言うことは正しいというような雰囲気があったため私も姉の言葉を受け止めていたが今思うと当時から姉にも馬鹿にされていたのだろう。
母からは、私が大学生になるまでに貯めていた20万円を全部使い込まれた。
返してほしいと言ったら「使ったから返せない」と言われた。
他にも大学時代に貸与を受けた奨学金を親の生活費に使用され国公立大卒業したにも関わらず約1000万円の借金を負うことになった。社会人になった後もそしてこのブログを書いている今も親に金銭の要求をされているのが今の現状だ。
逆に私もたまに両親にお願いすることがある。
帰省するので実家に泊めてほしいや、転職で上手くいくか不安だったときに地元に帰ってもいいか聞いたことがある。
親の返答はいつも一緒で、「私の帰る場所はない」だそうだ。
いつもこう言われた。
私は社会人になってから実家で泊まったことは1回しかない。
あとはすべてホテルに泊まっている。姉は出戻りが許され私は許されない。
私は都合のよい存在なのだと再認識させられる。