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【24歳会社員】あと少しで人生25%到達
江戸時代以前の日本人の平均寿命は10〜30代だったそうだが、
「人生100年時代」と言われる今、
2000年生まれの人は、5人に1人が100歳まで生きるらしい。
この事実について、みんなどのように考えるんだろうか?
私は正直、怖い。
私は2000年生まれで今年25歳を迎えるわけだが、
まだ「人生の25%」程度なのかと。
昔は長生きしたくてもできないから
「長生きしたい」と願う人が多かったのだと思うのだが、
今は願わなくとも「長生きしてしまう」時代のように思う。
私の家系は長寿である。
曽祖父は97歳まで生き、曽祖母は99歳、数え年では100歳まで生きた。
祖父母は78歳・75歳と、全く病気を患っていない訳ではないが、
毎日犬の散歩ができるくらいには、健康な状態である。
血筋を考えると、私もきっと長生きできる部類で、
おそらく5人に1人の「1人」に含まれる可能性が高いと思っている。
数年前までは、
家系が長寿とはいえ、大台の100歳を超えた人はいないので、
「100歳以上生きたい」と強く思っていた。
だが、社会人となってお金を稼ぎ、税金を毎月納め(給与からさっぴかれ)、
老後の資金形成について考えるようになった今、
「100歳以上生きたい」とは思わなくなった。
いや、思えなくなった、の方が表現が正しいかもしれない。
私は先々について不安視しがちな人間である。
ある日、
「私は何歳の時にいくら資産があれば、退職できるのだろうか?」と
退職年齢ごとに、老後の必要資産額を算出したことがある。
その際に
「100歳まで生きること」を前提に算出したのだが、
今から毎月◯万積立投資しなければ、
60歳で定年退職することすら困難だと分かった。
物欲があまりないタイプの人間であるため、
毎月の生活費をそこまで高く設定していないにも関わらず、だ。
(数字が伏せてあるのが気持ち悪いかもしれないが、
この記事は投資に関する話をしたい訳ではないし、
誰かの不安を煽りたい訳でもないので、具体的な数字は控えさせていただく)
生活費をこれ以上下げられない最低額だとした場合、
他に資産額を安く抑える方法は「前提の寿命の部分」。
90歳、80歳と低くなれば、当然老後の必要資産額は安くて済む。
逆にいえば、長生きするほどに高額になり、
働く期間を長くする必要が生じるということになる。
2100年の世界がどうなるのか気になるが、
一方で、そのために、20代、30代、40代、、、と
何十年も、何万時間も働き続けなければならないのかと思うと、
「それなら、その世界は見れなくてもいい」と
本当は持っている興味に蓋をして、無かったことにしたくなる。
また、年齢という数字だけを見ても、
25歳は自分の中で節目の年のように思っていたが、
100年時代においては進捗率たったの25%。
「100歳まで生きたい」と強く思っていた自分が、
「100歳は長すぎる」と思うようになった。
自分よりも何十年も年上の方には、
「若いし、まだまだ何でもできる。羨ましい。」と言われるのだが、
私からすると、
人生の残数が少ない方が羨ましいと思ったりする。
決して、今の生活が灰色のようなつまらない生活な訳ではない。
数年前に強く憧れたリモートワークで、
仕事でもプライベートでも、
やってみたい事にチャレンジできている。
それに、美味しいご飯を食べただけで「幸せだ」と口にするタイプで、
人よりも幸せを感じやすい人間かもしれないと思っているので、
スーパーカラフルな生活だとは思わないまでも、
そこそこ彩豊かな生活だとは思っている。
ただ、両親の離婚、父との死別、大学中退、鬱と
25年間に起きた出来事を振り返ると、
これから起こる楽しいことよりも
今後も待ち受けているであろう困難に目を向けてしまう。
自分は順当に行けば、
この先何十年かは元気に健康体で過ごせるだろうが、
母や祖父母は、私よりも早く体にガタが来るだろう。
そのとき、私は精神的にも経済的にも、彼らを支えられるだけの
余裕を持ち合わせているのだろうか。
幼い頃の自分よりは強くなったと思うが、
私はまだまだ強くならないといけないのかな。
そもそも、今も強い訳ではなくて、強がっているだけに過ぎないかも。
自分のことだけで、もうとっくにキャパオーバーのような。。。
と、一気にネガティヴな感情で、頭も心もやられる。
ただ、これは、
これまでの幸福の量と、それが起こるスパン。
これまでの不幸の量と、それが起こるスパン。
どちらも今後も同じであるとした場合の考え方である。
人生の先輩方の話を聞く(あるいは本で読む)と、
ことわざにもあるように「山あり谷あり」なのだが、
山の高さ・谷の深さ、上り坂・下り坂の長さや角度は一定ではないようで。
当たり前といえば、当たり前なのだが、
これまで自分の身に起きていないことを頭ではなく、
心から思うのは、案外難しいものだ。
これまでよりも高い山を急角度で、何度も上るかもしれないし、
深い谷を緩い角度で、ゆっくり下っていくかもしれない。
何が起こるのか?
その時々で自分はどう対応するのか?
現状は知りようがない。
高い山が必ず待っているはずだとか、
〇〇のように、どんな谷があろうとも必ず這い上がれるだとか、
根拠のない自信を持てない。
でも、人生残り75%とすると、
きっと、その間ずっと「深い谷」ということは無いだろう、
それに下がることばかりをイメージしながら生きるほどの強さは無いので、
出来る限り、でも無理のない範囲で、
山を上がることをイメージして生きたい。
P.S
最後まで読んでくださった方、ありがとうございます。
自分で書いといてなんですが、読者側が嫌になるくらい
ネガティヴな言葉がつらつらと並んでしまったと思います。
申し訳ないとは思いつつ、
現実では口に出しにくい負の部分を吐き出せたことが
すごく有難いなと感じております。
みなさんの心と時間に余裕がある時、
ぜひフラッと読みに来てくださったら嬉しいです。
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