金の話を語る奴の殆どが話が長い。
youtube動画や、ニコニコ動画に限らず、それがブログであろうが、専ら無駄な説明が多過ぎて話の終わりが中々見えて来ない事が多々ある。それは、つまり閲覧者が自分より、低能な只の馬鹿だと思っているのか、自分の知見をひけらかしたくていられないからだろう。まぁ、広告収入狙いの場合、閲覧持続時間なども必要だから、スパンを長めに意識的に結論を終盤に持っていくような、地上波のバラエティ的な姑息さが必要になって来るが、天然で話が長いのもいるから始末が悪い。まるで、ヌスが、閲覧者を選別しレベルによって淘汰しているが如き戯言が罷り通るのも現実。
つまり、そんな長ったらしい無駄な説明や講釈を閲覧するのは時間の無駄でしかない。ネット空間には、その真偽を判断しなければならない以前に、それらの閲覧が無駄にならないか否かの判定が必要になる。無駄な閲覧は損失以外の何ものでも無いのである。
その面では、ネットに限らず、情報過多・飽和状態の人間社会全般に言えることで、情報の選別が重要な事は昔から、言われていた事でもある。
「金の話」と抽象的なことをテーマにしたが、それは「投資の話」でも、「ギャンブルの話」であろが同じ事で、やってみなければ判らない事ばかりだ。自分の過去の実績ばかり強調して満足するマスターベーショナーは腐る程、多いが、「それがどうした?」というレベルのものばかり、そもそも、そうやって稚拙に自慢するのには、それなりの手淫マニア側の理由があって、こちらには何にも関係の無い事で、その時点で、そんな情報に有意性など皆無であると判定出来る。小銭であろうが大金であろうが、そんな事はどうでもいいのである。
「最終判断は自分の責任」で行わなければならないのだから、その結論の正否判断が最も重要である。つまり自己分析である。自分の事は自分に問わなければならない。長い話の中には存在しない。
世の中を悟ったような口ぶりで講釈する輩を信用してはならない。ネットに発信される「リア充」の殆どは、それだけの意味しか無く、本人の欲求不満のハケ口でしか無いのである。「俺がルールブックだ!」と名乗れる権利を持つ者などいない。