シンガポールで起業したこと
起業するに至った流れから書いてみよう。
元々シンガポールに来たのは当時の旦那様(こないだの旦那、と呼んでいる)がシンガポールで働いていたから。当時私は上海でジュエリー会社のマーケティング担当として働いていて、仕事は楽しかったし信頼できる友達も十分にいて、何より上海がスキで好きで大好きで、大げさではなくそれまでの人生で最も充実した時間を過ごしていた。上海を離れたくないが為に入籍してからも1年近く遠距離結婚(?)状態だった。ある日働いていたジュエリー会社がローカル会社に買収されるかもしれない、という話が出た。上海で初めて働いた会社もローカル会社だったし、それ自体がイヤだったわけではなかったけれども、中国で、ローカル企業が扱っている、デンマーク産ジュエリーのマーケティング担当が、日本人であるメリットは会社にも私にも無いと考え、いい機会なのでそろそろ腹をくくってシンガポールへ行こう、と決めて引っ越してきた。
シンガポールへ引っ越してきてすぐに就職活動を始めた。仕事はすぐに決まって化粧品会社のアシスタントブランドマネージャーとして勤務した。この会社で2年程勤務した頃、過去に日本で私を雇ってくれていた女社長からお仕事のお誘いの連絡をいただいた。
「●●っていうイベントの…こういうお仕事なんだけど…あなた、やる?」
いつか書こうと思うけれど、この人と出会って私の人生は革命のごとく劇的に変わった。私にとっては恩人みたいな人なのだ。「やります。」と即答した。
化粧品会社を辞め、イベントオーガナイザーとして働きだした。海外にいるので、ビザの関係上関係者の会社に雇用してもらう形をとったものの、契約書の内容としては「業務委託」。仕事のメンバーも日本、シンガポール、オーストラリアと点在しているのでオフィスは無く、この頃から在宅勤務が始まり、実質フリーランスとして働く事になった。
仕事面は大変ながらにも順調ではあったが、プライベートがまずかった。ちょうど同時期に私は3回目の離婚に向け「こないだの旦那」と別居を始めたところだった。関係が悪くなったわけでは無かったので実際に離婚するタイミング等は私の希望を聞き入れてもらえていたものの、離婚するとなると突きつけられる大問題があった。「ビザをどうするか」
当時私は旦那に帯同してステイするパス、DPというものを持っていた。離婚するとなると当然このパスは保持できなくなる。私は「シンガポールから撤退せずに」、「今の仕事を維持できる方法」を片っ端から考えた。形式上雇用してもらっている会社にEP(Employment pass)を申請してもらう方法が一般的だったが、近年取得のハードルが上がり続けるシンガポールのEP事情を思うと、どうしても普通に申請して承認がおりる自信が無かった。
更に、私は疲れていた。国が変わる度、旦那が変わる度、転職したり仕事の環境を変える事にほとほと嫌気がさしていた(完全に自分のせい)。もう今後、何かしらの外的要因によって自分の仕事環境が変わる流れを終わらせたい。それなら今、フリーランスとして本格的に環境を整えるほうが良いのではないか?でも、海外ではフリーランスにはなれない…
じゃ、起業して社長になろう。
これがシンガポールで起業した理由。
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