見出し画像

イエス・キリストの生涯に想う

 私は特定の宗教を信仰しているわけではない。保育園は近くのミッション系、大学は構内にチャペルがあったし、キリストを題材にした映画も見たが、聖書を勉強したことはない。典型的な日本的宗教観の下で生きて来た。
 しかし、世界で最も有名なイエス・キリストという人物や歴史における宗教の存在には関心がある。敬虔な信者の方々には叱られそうだ。
 
 イエス・キリストは紀元元年に誕生し、ユダヤ人としてパレスチナのナザレで育つ。その頃のパレスチナはローマの統治下だったがヘロデ王が自治を任されていた。王の死後にローマの属州となり、ローマより総督が派遣され直接統治されていた。

 ナザレは風光明媚なオリーブの産地であったが、住民たちは民族意識が強く、ローマからすると反抗心旺盛なやっかいな地域であった。
 クリスマス伝説ではイエスはベツレヘムでユダヤの王、メシア(救世主)として生まれたがナザレからは遠く離れている。これはダビデ王の町ベツレヘムからメシアが出るという預言やイエスがダビデ王の家系であることを示したもので、福音書や会派によって異なる。受胎告知やマリア処女懐胎伝説も記述の無い福音書もある。聖書研究はまさしく沼だ。

 イエスはナザレで大工の父を手伝いながら、父母や多くの兄弟たちとユダヤ教の信者として暮らす。イエスが三十歳の頃、おそらくは影響を受けたであろう預言者ヨハネに会い洗礼を受ける。ヨハネは投獄され斬首されてしまう。この後、イエスは荒れ野で40日の断食に入り悪魔の誘惑を退けてガリラヤで宣教を始める。

 イエスは人間の愛と神の愛について教えを説いているが、教理に従って皆が過ごせば諍いは避けられ穏やかに暮らせるとも思う。

 イエスは数々の奇蹟を起こす。特に病人を治すことが彼の評判を劇的に広めた。この奇蹟はイエスの存在証明や信仰の力と考えられている。彼の立ち振る舞い、話し方も印象的でカリスマ性があり、民衆の気持ちを掴み多くの心棒者を集めた。しかし、民衆はイエスが思うほど悔い改め自分たちの生活を変えることもなかった。ユダヤの国はダビデやソロモンの時代に栄えたが、次々に列強に支配されて国の再興を望む声が高く、メシアの到来を待ち望んでもいた。これはイエスの言う天の国とは異なる話だと思うのだが。

 当然、多くの民衆を集めるイエスはユダヤの領主や祭司、ローマからは危険視されていく。そんな中イエス一向は最後の地であるエルサレムに向かう。殺されるかもしれないがイエスは歩みを止めない。

 過越祭の時期でもあり、イエスはエルサレムでも多くの民衆を集めるが、神聖な神殿から商売人たちを追い出す事件を起こし、祭司たちは民衆のローマへの反乱を恐れ、反逆罪でイエスをローマ提督に告発しようとする。そして弟子のひとりユダが祭司たちと通じて、史上最悪とされる裏切りを行う。

 弟子たちとの最後の晩餐を終えたイエスはゲッセマネの園で祈りを捧げた。この時にユダと祭司たちの手の者により捕らえられたイエスは裁判にかけられ、神を冒涜した罪で死刑を宣告される。イエスは殆ど反論していない。イエスはゴルゴタの丘で十字架に架けられ三十四年の生涯を終える。

 こうしてみるとイエスは民族的・宗教的にもユダヤの枠の中で生きていた。後にイエスの教理はユダヤ教から離れてキリスト教として発展していく。またユダヤの民はイエスを死へと追いやってしまったことでこの後二千年苦労する一因となってしまう。

 後にキリスト教は世界へ広まり、時に民衆を統制する政治の道具となり、お金を集める集金システムに利用されたり、戦争の原因にもなるのだが、数えきれない人々の辛さや悲しみを癒してきたことは間違いない。

【REG's Diary   たぶれ落窪草紙  9月29日(日) 】





いいなと思ったら応援しよう!