【台湾は民進党頼清徳氏を選択】どうする中国?歴史背景をざっくり振り返る
台湾にはもともとフィリピン・インドネシア系の民族がいた。文字を持たなかったのか文献記録がない。歴史上に台湾が登場するのは400年前のこと、1624年オランダが貿易の拠点として台湾の一部をを統治する。1661年中国より鄭成功が進出、オランダ人を一掃し台湾独自の政権を樹立。滅亡した明の残党であったが今日でも台湾の基礎を築いたとして評価は高い。1683年清が「反清」を掲げる鄭一族を滅ぼして台湾を占領し台湾の中国化を進める。1895年今度は日清戦争に勝利した日本が台湾を統治する。日本本国の経済発展とともに台湾も急成長する。しかし、1945年の日本の敗戦により。清の次に中国全土を支配した中華民国統治時代に入る。中国本土の経済の悪化で台湾は物価高騰、中国本土からの移民等で台湾の治安は悪化する。1947年台湾全土で中華民国統治対する不満が爆発、これに対し軍隊を派遣して鎮圧(約3万人を虐殺、知識階級や共産主義者も処刑)、更に締め付けが強化。
一方中国本土では中華民国(中国国民党、蒋介石)と中国共産党(毛沢東)の内戦が勃発、中国共産党が勝利し中国本土をを支配。中華民国は台湾へ逃れ、台湾は中華民国国民党による独裁体制となる。
ここで大きな変化が起こる。それまでは中国といえば中華民国であったが、列強が共産党が樹立した中華人民共和国と国交を結び、1971年国際社会は中華人民共和国を中国の代表として認めることになる。この期に中国は台湾を攻略しようとするが失敗。アメリカは中国の巨大化を恐れ台湾を支援する。台湾は経済発展を遂げ、民主化運動も盛んになった。
1988年台湾出身の李登輝が国民党のリーダーになり政府の方針を改革する。
1996年台湾総統を選ぶ直接選挙が始まり、独裁体制が終了。
2000年には台湾出身者の政党民進党から初の総統が生まれ、その後国民党と民進党の政権交代を行いながら今に至っている。
先日四年に一度、八度目の台湾総統選挙が行われ、民進党の頼清徳氏が選出された。今回の民進党と国民党の主張は以下のようなものであった。
民進党・国民党>民主主義や個人の自由が守られている台湾の現体制を維持
国民党>経済的な中国との繋がりを柱に中国との対話を重視
民進党>台湾は国として確立しており、独立は掲げていないが、中国とは対
等の立場、アメリカ、日本、フィリピンとの連携も示唆
つまり国民党は中国との関係は近く、民進党は中国とは距離をおくスタンスだ。これに対して中国は「台湾は中国の一部、独立には武力を以て対抗する」とし、今回の選挙結果に反発を強めている。
。【REG’s Diary たぶれ落窪草紙 1月14日(日)】