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江戸時代 御三家と御三卿

 今回の大河ドラマ「べらぼう」では江戸時代の家督相続が取り上げられ、御三卿が登場していた。

 昔は家督相続の問題は大きな課題であった。基本的には正妻の嫡子(長男)が継承者となる。家督相続をめぐる争いごとは太古より数知れない。
 秀吉も秀頼の他にも子がいたら歴史は変わっていたかもしれない。
 家康には男11人女5人の実子がいた。家康は将軍家の血筋を残すことを重要視していた。正室は築山殿と秀吉の妹朝日姫だが、側室は20人を超える。

16人の実子を生まれた順に並べてみた。当時は子が育つのも難しい時代だ。

松平信康 正妻築山殿が母、謀反の疑いで切腹により死亡
亀姫 奥平信昌の正室
督姫 北条氏直の正室 北条氏滅亡後は池田輝政と再婚
結城秀康 秀吉の養子、後に結城家の養子に、初代北ノ庄藩主
徳川秀忠 江戸幕府 第二代将軍
松平忠吉 徳川四天王の井伊直政の娘婿、28歳で病死
振姫 蒲生秀行の正室 秀行亡き後に浅野長晟と再婚
武田信吉 母が武田の縁者、21歳で病死
松平忠輝 家康の逆鱗に触れ面会謝絶となり、秀忠により改易配流される
松平松千代 5歳で病死
平岩仙千代 5歳で病死
徳川義直  尾張徳川家の祖 尾張国名古屋藩の初代藩主
松姫 幼少で死亡
徳川頼宣 紀州(紀伊)徳川の祖 紀伊国和歌山藩の初代藩主
徳川頼房 水戸徳川家の祖 常陸水戸藩の初代藩主
市姫 伊達政宗の嫡男忠宗に嫁ぐはずだったが3歳で死亡

 特に尾張、紀州、水戸の徳川家は家康の直系で御三家として譜代の中でも別格の大名だった。徳川を名乗ること、三つ葉葵の家紋使用が許されるなど優遇された。尾張、紀州は、将軍宗家(本家)の後継ぎがない場合、養子を出すことになっていた。八代将軍吉宗は紀伊家からの養子で、14代将軍家茂まで紀伊家の血統が続く。水戸家は遅れて御三家の仲間入りを果たす。

 御三卿は江戸中期にできた徳川家で、将軍吉宗の三男(次男?)の田安家、四男の一橋家、九代将軍家重の次男の清水家がこれにあたる。大名ではなかったが、江戸城内に屋敷を持ち、将軍家や御三家、他の大名にも後継ぎを出すのが役目だった。最後の将軍慶喜は水戸家から一橋家の養子になり将軍となっている。一橋家と田沼意次の関係は大河ドラマでも注目だ。

 徳川家は15人の将軍を輩出して約260年間続くことになる。
 そういえば大奥というシステムもあったね。

【Reg's Diary        たぶれ落窪草紙  1月24日(木)】
 
 

 

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