ジャズの起源はニューオリンズにあり
ジャズはアメリカ南部のニューオリンズで形になって行く。
17世紀以来アメリカではアフリカ人の奴隷貿易が盛んに行われ、多くの黒人労働者がアフリカから連れてこられた。移民ではなく奴隷として。
彼らは故郷から遠く離れた場所で過酷な労働を強いられていた。彼らの生活を支えていたのは宗教と音楽だった。アフリカの音楽とキリスト教が出会って黒人霊歌が生まれる。そこに黒人奴隷の労働歌であったブルースと当時アメリカで流行したシンコペーションを使ったラグタイムというジャンルが融合されて次第にジャズが形成されていく。
18世紀初頭のューオリンズはフランスの植民地であったため、欧州の文化の影響も強く受けていた。ニューオリンズの黒人の葬儀には関係者が墓地まで行列する。それにブラスバンド形式の楽団も加わっていた。行きは重々しい葬送歌や讃美歌を演奏し、帰りは明るいスウィング感のある讃美歌や黒人霊歌を演奏した。この帰りの演奏がニューオリンズジャズの原型となる。ルイアームストロングもこの行列で活躍していたらしい。
1865年に南北戦争が北軍の勝利で終わり、敗戦した南軍の楽器が安く出回ったこともあって日曜の公園には黒人奴隷が集まり演奏していた。アフリカの音楽も演奏され、集団で即興演奏を楽しんでいたのだ。人種差別の厳しい社会において、彼らは仲間と音楽を楽しむことで乗り切ってきたのだろう。
こうしてニューオリンズのデキシーランドジャズは熟成されていく。
19世紀初頭にはニューオリンズはアメリカに売却され、重要な港湾都市として発展していた。当時の役人シドニーストーリーは売春婦で溢れた街を何とかしようとして、1897年に合法の売春街ストーリーヴィルを作る。この区画や周辺の歓楽街にはダンスホールや酒場ができて演奏の場が生まれ、そこに黒人のプロのミュージシャンが登場する。ニューオリンズでは至る所でジャズが演奏されていたが、ストーリーヴィルは主要鉄道駅の近くにあったため観光名所にもなり、観光客もジャズを楽しんだ。当然噂にもなる。
1917年第一次世界大戦にアメリカは参戦し、ニューオリンズには海軍の基地ができる。海軍は兵士の性病のまん延と歓楽街でのトラブルを避けるために地元の大反対を押し切ってこの区画を閉鎖する。ストーリーヴィルは20年の歴史に幕を閉じた。ニューオリンズで職を失ったミュージシャンの多くがミシシッピー川を北上しシカゴへ向かう。ジャズの舞台はシカゴへと移る。
ジャズは黒人奴隷の生きる糧として生まれ、酒場の音楽として育ってきた。
【REG’s Diary たぶれ落窪草紙 5月19日(日)】