NY9.11の思い出
アメリカで起こった同時多発テロからもう23年経つ。
世界を大きく変えたこの事件を実体験していない人達が大人になっている。あれから人類は新たな戦争の手法と対峙せざるを得なくなった。アメリカを中心に「敵」に対する警戒レベルが格段に上がってしまった。「敵」とは資本主義と社会主義、民主主義と独裁制、富める者と貧しい者、国家、思想、民族、宗教などにより分断された自分の所属とは別の集団であり、より複雑にもなった。
2001年9月11日燃料満載の航空機4機が離陸後イスラム過激派によりハイジャックされ、2機はニューヨークのワールドトレードセンターに突っ込んだ。1機はペンタゴンに、そしてもう1機はワシントンDCに向かう途中、乗客の抵抗により墜落した。
約三千人が亡くなり、ワールドトレードセンターは倒壊した。
私はこの日にホテルでNYへの団体旅行の説明会を行った。旅行会社の人間ではないのだが、年末若者50名ほどに海外経験をさせる企画を進めていたのだ。
90年代に2度NYへ行ったが、最初の旅行は随分怖い思いをした。この頃のNYは世界有数の犯罪都市だった。その後市長がジュリアーニ氏に代わってからの2度目の旅行は驚くほど安全になっていた。彼はNYを観光都市にするため悪党を一掃していた。
若い子たちに安全になったNYを見せたかった。
説明会を終えた当日の夜に事件の第一報が入った。ワールドトレードセンターに航空機が衝突した。衝撃の映像を見て何をどう間違えるとこんな事故になるのか理解ができなかった。しかし、2機目の突入でこれが事故でないことを理解した。誰かが意図して起こさなければ偶然にこれは起きない。翌朝までテレビのニュースに釘付けだった。
私の生涯初の海外旅行はNYひとり旅であったが、最初に訪れた場所はフルトンマーケットからワールドトレードセンター、ビルの最上階のレストランから見る景色は航空写真のレベルだった。
そのツインタワーはともに倒壊していった。
団体旅行は即中止になったが、三か月後にひとりでニューヨークへ出かけた。航空機は一列にひとりのガラガラ状態、ホテルも驚くほど安かった。機内食のナイフフォークはプラスチック製に代わっていたし、搭乗のチェックではパソコンは起動させられ、靴も調べられ、指紋もとられた。ワールドトレードセンター跡地周辺には軍用のハマーが並んでいて近づくこともできなかった。三か月経ったのに空は粉じんで薄っすらもやがかかっていた。街角には多くのM16 を抱えた州兵たちが配備されていた。街も元気が無かった。
あれからアフガン侵攻、イラク戦争、それらはISを生み、各地でテロ事件も起きている。アメリカは世界の警察を降りて、ロシアやイスラエルも自分たちの大義の戦いを初めてしまった。
この時期が来ると一晩中ニュースを見ていた夜を思い出す。
【REG's Diary たぶれ落窪草紙 8月22日(木)】