社会はどんどん暮らしにくくなっているのかな
ニューヨークを襲った9.11同時多発テロ、その後の海外旅行は一変した。機内食で使われていたナイフとフォークは金属製からプラスチックに変わり、入国審査も指紋を全部採られ、パソコンは爆弾でないことを証明するために起動を命じられ、靴も脱いで靴底まで調べられた記憶がある。
ある事件がきっかけとなり法律が変わったり、厳しく規制がされることはよくある話だ。
自然災害やパンデミックで人の生活が変わるのは仕方ないと思う。二度と同じ目に遭うまいと起こり得る想定の幅を広げて、準備をすることで救われる命もある。
しかし、ある人間がしでかす愚かな行為により、関係の無い多くの人の生活が規制され、やらなくてもよかった面倒な手続きをしなければならないのはとても残念なことである。今まで起こることのなかった事件や事故が、次はまた起こるからもしれないという視点に立ち、規制や法律改正が行われて、できなくなることが増えたり、関連の手続きが面倒になったりする。自分を守るためのことなので、仕方のないことなのだが。
善人で生きることのメリットは失われて、悪人を想定した監視社会はぎすぎす感が増し、どんどん住みにくい世の中になっていく。
企業や店舗は過度なクレームや批判を恐れて、一々本来ならする必要のない説明や注意書きを並べまくることになる。
どこへ着地しようとしてるのかよくわからないことが多い。
様々な犯罪が横行する社会においては、自然災害やパンデミックと同じように、起きることを想定して予防線を張るしかないのかもしれない。考えてみれば戦争も同じことかもと思う。
先日能登半島の被災地支援活動をされている方からお聞きした話だが、この北陸での寒い時期、不自由な生活を余儀なくされている避難所で、皆さん不平不満を言わず、じっと耐えて、明るく助け合って暮らしてことに心を動かされるという。
一日も早い復興を願うばかりだが、我々が学ばなきゃいけないことも沢山あるように思う。
【REG's Diary たぶれ落窪草紙 3月16日(土)】