後継ぎの弱みと成り上がりの限界
親の事業を継承できる人々を見て羨ましいと感じていた時期があった。
しかし、親の職業を継承することも簡単な事ではない。親族が起業した事業を発展させ継続するには知識や能力、センスが当然必要となる。起業者と比較されることもあるのでプレッシャーも大きい。
幼少の頃より帝王学を叩きこまれている人もいれば、予期せぬ継承に苦労する人もいる。見事に継承した事業を大きくしていく人もいれば、縮小または廃業に追い込まれる人もいる。二世、三世の議員さんたちが揶揄される話もよく聞く。それだけ事業の継承は難しいのだと思う。事業継承者である自覚を持ち、ひたむきに努力を重ねている人には憧れる。それでも一般サラリーマンよりもアドバンテージを持っていることも否定はできない。
後継ぎの経営者で本人も周囲もたいへんと思うのは現場をよく知らないまま経営者になることだ。少なくとも現場を知ろうと務めている人はいろいろ想像できるはずなのだが。継承する前に外に出て修行をする人たちもいる。現場をよく知らない人の意思決定は的を外れたものになる可能性がある。
帝王が故に甘やかされ過ぎてしまう例も見受けられる。
それに対して何もないところから一代で事業を起こし成功させる人たちもまた魅力的だ。いい意味で成り上がって来た人たちにはバイタリティと不屈の強さがある。日本史上最大最強の成り上がりといえば羽柴秀吉だろう。清盛、頼朝、尊氏も天皇の血筋だし、信長も家康も城主の子息だった。秀吉の出自については不明な点が多いが、農民の身分から戦乱の世を平定し、逆らう人が誰もいない領域まで登りつめたことは間違いない。このタイプはワンマンな人が多く、視野がどうしても狭くなってしまう。また急速に手にした富や権力を上手く使いこなせず、己に溺れてしまい没落していく人もいる。
事業を継承する経営者は上流社会との繋がりも継承している。上流社会とは妙な言い方だが、イメージとしては経営者同士の集まりだったり、法律や金融、専門分野に関する繋がりだったり、こうした古くからの頼れる人的ネットワークなども実は継承している。この形成には長い付き合いによる信用も必要なので、成り上がりには容易に手に入らなかったりもする。
後継ぎも成り上がりも一般サラリーマンとは異なるたいへんさもある。
【REG's Diary たぶれ落窪草紙 8月20日(火)】