【落窪物語①】源氏物語より前に書かれた平安の傑作
「落窪(おちくぼ)物語」は平安時代、紫式部が「源氏物語」を書くちょっと前に書かれたと言われている物語です。全四巻の内、最後の第四巻は清少納言が書いたのではないかという説まで存在します。作者については諸説ありますが、現在、作者不詳とされています。
現代語訳もあり、試験問題にもなっていたり、漫画にもなっているようなので、御存じの方も多いかもしれません。
まずは前置きとして時代背景を浅く考察いたします。
奈良時代は遣唐使がもたらす情報もあって、中国文化の影響を強く受けます。平安時代になると唐風の文化も尊重しつつ、日本独自の文化が醸成してきて、国風文化となって現代まで伝わる日本の伝統的な美意識の源を形成しました。
平安時代は女性の活躍が目立ちました。藤原家はとにかく娘を天皇に入内させて、天皇となる子供を産んでもらい、天皇のお爺ちゃんとして権力を振るうのが宿願でした。そのために娘のサポート役として、教育を受けた優秀な中流階級の女房たちを送り込み、あの手この手で娘に早く子ができるよう天皇の気を引くことに躍起になっておりました。
そんな中から紫式部や清少納言などの女流作家が誕生します。またこの時代には、漢字の一部を使ったカタカナや漢字の草書体から派生したひらがなが普及してきて、和歌、物語、日記、随筆などの文学が花を開きます。
現存する最古の物語は「竹取物語」と言われています。「源氏物語」にも「竹取り翁」として登場します。また「伊勢物語」、「兵中物語」「大和物語」など和歌を題材にした歌物語が作られ、「古今和歌集」や教養としての和歌が貴族社会に浸透していたようです。「うつほ物語」は海外も舞台にした長編で、琴の秘技を軸に、争いや年中行事など貴族の生活を伺い知ることができます。
説明不用の「源氏物語」、「栄華物語」などの歴史ものなど多くの物語が生まれてきます。落窪物語はどこへ行ったと叱られそうなのでここらで。
「落窪物語」は「枕草子」に引用されているので、書かれた時期はそれよりも前と考えられます。継子(ままこ 血縁関係の無い子)いじめ譚として有名です。当時の結婚事情は今と全然違います。結婚はもっと緩い状況で、財力があり養うことができれば、正式な妻以外にも複数の女性と関係したり、女性も夫が通わなくなると次の男に乗り換えたりと割と自由奔放な恋愛をしていたようです。「源氏物語」をみればよくわかります。
状況によっては母親の違う子供たちが一緒に暮らすこともあったでしょう。そうなればいろいろありますよね。継子いじめはシンデレラが有名だけど、紀元前のギリシャから存在してます。
明日は「落窪物語」の内容に触れていきます。ネタバレですから要注意!
【REG's Diary たぶれ落窪草紙 3月1日(土)】
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