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イスラエルとパレスチナは複雑すぎて・・・
私はイスラエル、パレスチナどちらかを支援をするような立場にはない。歴史的にも、宗教的にも、地政学的にもこの対立を生んでしまった過去の時の流れに憂いを感じて、ただ現状を見ていることしかできない。
ユダヤ人がカナンの地にイスラエル王国を築いたのが紀元前一千年の頃、ダビデ、ソロモン親子は国を発展させる。ソロモン王は嘆きの壁として有名なエルサレム神殿を建てたが、死去するとイスラエル王国とユダ王国に分裂する。紀元前700年頃にイスラエル王国はアッシリアに滅ぼされ、紀元前600年頃には新バビロニアによってユダ王国も滅亡する。この後もユダヤ人は捕虜として連れ去られたり、戻って独立したり、ローマ帝国の統治を受けても反乱を繰り返す。紀元100年を過ぎた頃、ローマ人はユダヤ人をこの地から一掃しようとし、ユダヤ人の天敵であるペリシテ人の名からこの地をパレスチナと名付ける。既にユダヤ人の民族離散(ディアスポラ)は始まっていたが、世界各地に離散してしまう。旧約聖書ではカナンの地は神よりユダヤ人に与えられた土地とされる。
ユダヤ人は世界中に共同体をつくり、ユダヤ教の信者として独自の文化を守り続けた。しかし、キリスト教社会では中傷や迫害を受ける。キリストはユダヤ人によってローマに売られ十字架にかけられたという説があるためだ。またキリスト教社会では罪とされていた利子をとること、つまり金融業は民族離散の状況にあり定職に就くことが難しかったユダヤ人に回って来た。ユダヤ人は優秀な民族だったのだろう。ユダヤ人を受け入れた国は栄えて、逆に恐れられて追放されるというケースが歴史上度々みられる。後に社会の必要に応じて金融業は発展し、18世紀になると宗教的な迫害も薄れ、ユダヤ人は様々な分野で活躍する。
ユダヤ人は国を持たずに世界各地で苦労したことは容易に推測できる。そしてヒットラーによるホロコースト、戦後のイスラエル建国、イスラエルと中東諸国やそれまで長くその地に住んでいたパレスチナ人との衝突。
そして昨年パレスチナのハマスは人質をとりイスラエルを襲った。イスラエルはハマスせん滅に乗り出す。しかし、一般市民も巻き添えにしたイスラエルの反撃は過剰だと世界中から非難を受けているのが現状だ。
イスラエルはイランの行事に招待されたハマスの幹部をイラン国内で殺害したとされる。どうやらネタニヤフ率いるイスラエルはこの期にパレスチナを叩いておきたい意図が強く感じられる。
エジプトで和平交渉が再開されるようだが、このような交渉がうまく運んだ例がない。
やはり長く続く嫌悪や恨みの連鎖は本当に人を鬼にしてしまう。
心より和平交渉が進み、民間の人々が心安らかな日々を送れることを願うばかりである。
【REG's Diary たぶれ落窪草紙 8月19日(月)】