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あをによし~奈良へ⑧ アフター投稿  明日香村を歩く

 奈良県明日香村を一日かけて歩く。

 朝一で橿原神宮前駅からバスに乗る。飛鳥寺をゆっくり散策し、南にへ向かう。飛鳥寺については⑥を参照ください。

飛鳥寺から南の風景

 お天気が良い。少し汗ばむくらいの11月、女学生たちがグループに分かれて修学中、自分たちの計画に沿って歩き回るのだろう。先生がいないので、楽しそうにはしゃぎながら闊歩する。

石舞台古墳

 ここは蘇我馬子の墓と言われている。文献等に記録はないが総重量2300トン30数個の巨石でこれだけ立派な古墳が造られ、しかも中はすっかり盗掘されているとなると、数々の実績と蘇我氏が滅ぼされた経緯で馬子しかないということだろう。

石舞台 内部
飛鳥宮跡

 飛鳥宮跡はちょっと複雑だ。舒明天皇の飛鳥岡本宮、皇極天皇の飛鳥板蓋宮、斉明天皇の後飛鳥岡本宮、天武・持統天皇の飛鳥浄御原宮がこの辺にあり、重なっている所もある。天皇という呼び名は天武以降でそれ以前は大王(おおきみ)だが、代が変わると宮殿も変わるというのが一般的であった。飛鳥板蓋宮は乙巳の変による蘇我入鹿殺害のクーデターが皇極天皇の目前で起こった場所だ。

 皇極天皇は重祚して斉明天皇になるが、この女帝只者ではない。

謎の大寺 川原寺跡

 川原寺は、斉明天皇が板蓋宮を焼失した時に仮の住まいとした川原宮に息子の天智天皇が建てた寺と言われる。この寺は謎が多い。飛鳥寺、薬師寺、大官大寺(大安寺)と並ぶ飛鳥四寺のひとつだが、日本書紀に創建の記載がなく、平城京遷都の際に他の寺は奈良へ移るが、川原寺は移動していない。また川原寺式瓦は壬申の乱において勝利する天武に味方した地方豪族の古刹から出土している。信濃善光寺からも出土し、創建年代の推定に影響を与えた。

橘寺

 川原寺跡から南の山にある橘寺は本尊を聖徳太子とする太子ゆかりのお寺だ。父の用明天皇の別宮に創建されたが、年代は不明で少なくとも天武天皇の時代には存在していた。聖徳太子はこの付近で生まれた。聖徳太子の愛馬黒駒の像があり、斑鳩から飛鳥迄この馬で通い、数々の伝説も残している。室町時代の兵火で衰退するが、聖徳太子の存在を今も伝えている。

 この後天武・持統天皇陵、高松塚古墳、近鉄飛鳥駅から橿原神宮前駅に移動し、橿原神宮、神武天皇陵で一日終了。ホテルで爆睡。

 明日香村には奇妙な石の遺跡をあちこちで見ることができる。
 まぁ1400年も前だと石しか残らないか。
 最後までお付き合いいただき心より御礼申し上げます。

【REG's Diary      たぶれ落窪草紙  11月30日(土)】



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