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前向きな歳のとりかた

 65歳になると介護保険証が届く。同時に介護保険料の支払いが始まる。これらの書類を見るとさすがにそれなりの歳になったものだと自覚を促される。老いていくのは生き物の宿命、誰もそれから逃れることはできない。確かに様々な機能が衰えていくのは認めざるを得ない。

 自分はどのように死んでくのか考えなければならない時期に来たようだ。このように書いたりすると、縁起でもないとか弱気になるなとか言われそうだが、そういうことではない。ただ一人の大人として周囲に迷惑かけることなく、将来残された者が困らぬよう、又自分の思うように人生を終えられたらいいなと思うだけのこと。その準備は自分がしっかりしてるうちから徐々に考えておきたいところだ。考えた通りにいくかはわからないが。

 両親の最後にあたり随分と苦労したからそう思うのかもしれない。

 衛生環境の改善や食べ物の変化、医学・薬学の発展により近年格段に人間の寿命が延びた。しかし、肉体の長寿に脳が追いつかないという現象も多く見られるようになった。自分自身のことで考えると、身体は元気でも記憶が薄れ、判断もできないようになってまで生きていても誰にとってもいいことはないなと思っている。もちろん個人や家族により考え方は異なる。

 痴呆が進み的確な判断ができないばかりに、一人で暮らせなくなったり、周囲の平穏を乱したり、人に騙されたり、危険運転をしたりするケースを見かけると長生きだけが最も重要な目的ではないと思える。

 自分が死ぬことを考えるのはマイナス思考ではない。いつかは必ず死ぬのは明白なことだ。これを考えたくないと思う人も多い。それはある日突然に目の前にやってくる。突然ならばショックも大きいし、冷静な対応が難しくなる。それは避けたいと思う。

 自分の死についてきちんと考え準備を始めると、健康にも留意するし、怪我や事故にも注意を払う。自分のやっておきたいことも整理され、今を大事に楽しく暮らそうという意識も持てる。そんな感じで衰えていく自分と仲良く前向きに生きていきたいとこの年になったからこそ改めて思える。

【REG's Diary  たぶれ落窪草紙   10月12日(土)】

 

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