身体拘束に関する日本精神科病院協会会長への取材記事について
東京新聞による、精神科医療での身体拘束に関する取材記事がWEB上にアップされました。
取材を受けたのは日本精神科病院協会会長の山崎学さん。
Twitterにこの記事がアップされると、「彼の発言は到底容認できない」「人権意識が欠けた人物が精神科病院協会のトップに居続ける異常さ」というような批判的なコメントが相次ぎました。
しかし一方で、「全面的に会長が正しい」「あんた、出来るの?がぶっささる」などと理解を示すコメントも多くありました。
この記事について、今回は考察したいと思います。
身体拘束について
身体拘束とは
医療機関や介護施設に入院(所)している方で、手術後間もない方や、認知症や精神疾患の方で生命または身体を保護するために緊急やむを得ない場合に行われる処置です。
具体的には、「徘徊しないように車いすやいす、ベッドに体幹や四肢をひも等で縛る」「脱衣やおむつ外しを制限するために、介護服(つなぎ服)を着せる」「点滴や経鼻栄養等のチューブを抜かないように、手指の機能を制限するミトン型の手袋を着ける」などが挙げられます。
身体拘束の三原則
身体拘束はむやみに行って良いものではなく、下記の三原則全てが満たされる場合に検討されるものです。
①切迫性…危険に晒される可能性が著しく高いか。
②非代替性…身体拘束以外に方法がないか
③一時性…その拘束は一時的なものか
身体拘束に関する一般的な見解
身体拘束は1人の人間の行動を抑制する行為であり、その必要性について長く議論されている分野です。
現代では身体拘束をなるべく行わない方がいいという意見が一般的であり、"施設内処遇より地域生活を"という流れがあります。
記事への感想
言葉は強いが一理ある内容も多い
この取材記事では、会長が発言した内容を逐語で掲載しているのだろうか、口語で発言が記載されています。
それゆえに、「厚労省の班研究で施設内拘束って6万件あるんだぜ」「医師が適切に判断していることをね、診察もしたことがないきみが、あーだこーだって言うのって変だと思わない?」のような強い言葉も見られます。
Twitterでは、こういった物言いに対する否定的な意見も多くありました。
しかし、会長の発言には、今の社会が目を瞑っている問題に目を向けたものも。
「地域で見守る? 誰が見てんの? あんた、できんの? きれいごと言って、結局全部他人事なんだよ」
「障害年金たった年間70万円で、どうやって地域で生活させんの? できないよ。働けないんだぜ」
「医者になって60年、社会は何も変わんねえんだよ」
この辺りの発言は、言葉の強さの程度はあれど、共感する方もいるのではないでしょうか。
現実的に、今の社会で身体拘束をせず、地域で生活できる環境にあるのか
理想、綺麗事、海外の事例…
これらを思考停止で並べることは、心理的に楽で、問題を他所に置くための最も良い方法でしょう。
しかし、現実に目を向けると、身体拘束が必要な方が地域で見守られながら生活する環境が整っているでしょうか。
地域での見守りはボランティア頼りではないでしょうか?
社会の問題が家族の問題に矮小化されてはいないでしょうか?
支援者はどこか他人事としてそのケースを見ていないでしょうか?
社会は、前に進んでいますか?
身体拘束の議論をどう捉えるべきか
私は、身体拘束自体は非人道的だと捉えています。
赤ちゃんや子どもを想像するとわかりやすいですが、例えば病院で喉を見るために少し抑えるだけでも、抵抗を示すことが多いです。
本能的に、人間は縛られるという行為を嫌う傾向にあるのだと思っています。
この記事を受けて、私は、住み慣れた場所で自分らしく生活することを支え続ける視点を大切にしつつ、より現実の問題に足をつけて、その環境整備もし続けないといけないと改めて考えました。
そのためには、政府や行政だけの責任にせず、支援者・国民・当事者全員の自覚が大切です。
誰かのせいにする議論ではなく、いかに物事を前に進めるか、という視点で考えていきたいものです。
今回の記事では、会長の発言に強すぎるところはありますし、それを容認することはありませんが、内容として真剣に考えるべき問いや気づきを与えてくれたように感じています。