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人物の色分けと人物像テンプレの始祖や元祖は「ゴレンジャー」ではない~「ゴレンジャー」の実質的な親のひとりは「ゲッターロボ」じゃない?っていう話

複数のフォロワーさんと話していて、もしやスーパー戦隊界隈でもあんまり知られてない? と思ったので。

現状私の持っている情報の結論だけ先に言うと

・おそらくキャラクターの色分けの源流自体が「ゲッターロボ」に存在していて、戦隊ものの色もそこからの派生、応用で説明がつく
*少なくともアニメ系メディアでよく書かれる「キャラクターの色分けとかテンプレはゴレンジャーから」というのは嘘に近い
・少なくとも漫画版ゴレンジャーを読む限り、ゲッターロボに類似したエピソードが確認でき、設定も被っている部分が存在する
・これらの背景として、「ゲッターロボ」も「ゴレンジャー」も同じ東映作品、同じ脚本家であり、また原作者の一人であるダイナミックプロと石ノ森プロの師弟関係が存在している

辺りだろうか。
私はスーパー戦隊や仮面ライダーシリーズには明るくなく、そちらの情報は所持していないので、きちんと知ってる人がやってくれないかなあと思っていたのだが……あくまでも「ゲッターロボ」を中心に周辺資料集めてたら見えた話で、「取っ掛かり」としてこの記事を出すので、各界隈で叩き台にでもしてほしい。
いつものことながら誤情報などがあれば修正したいのでご連絡いただきたい。


【歴史とか背景の整理~「協調性」の物語の出現】

この話をするには、そもそも「ゲッターロボ」がどういう生まれをしていたのか? 「誰╱なにが親だったのか」という話からする必要がある。
「関係無くね?」と殆どの人が思うだろうが、物事は最初から順を追って見た方が理解が早いこともあるので騙されたと思ってちょっと付き合っていただきたい。

*ちなみにゲッターロボはここで触れた作品以外にも色々要素を取り込んでいたり、逆に影響を与えたものも多い。
そもそも1960~70年代辺りというのは特に様々なジャンルの勃興、確立期にあたる。怪獣、巨大ヒーロー、等身大変身ヒーロー、ロボット、魔法少女、その他諸々が同時並列して存在し、同時に相互に様々な影響を与えあっていたことは注意願いたい。
どのジャンルにおいても、テンプレートも王道も存在しない時代。それが形成される過程の時代である。

あと毎回言ってるんだけど「ゲッターロボ」というより「ダイナミックプロの漫画作品」に関しては、90年代以降の映像化とかムック本の解説とかマジで役に立った試しがn邪魔にしかならn綺麗さっぱり忘れてこの話を読んでほしい。

1971年に話は遡る。
この年、「仮面ライダー」が石ノ森先生の漫画版、東映特撮版と同時に製作された。
「敵と同じ力を持った存在が(敵を裏切り)人類のために戦う」
こう書けば思い出すものがある人もいるのではなかろうか。
翌年、1972年「デビルマン」がそのうちのひとつである。
これを製作する時にその前年の大ヒット作品となる仮面ライダーの存在が意識されていなかったとは非常に考えにくい。

まして石ノ森章太郎先生のアシスタントであったのが永井豪先生であり、ここは師弟関係とも言える。
その永井先生が率いるダイナミックプロ全体が石ノ森先生のお弟子筋とも言えよう。
*実際にデビルマンの原画展で参加したギャラリーツアーで石ノ森先生の影響について触れられていた

「仮面ライダー」「デビルマン」は特撮とアニメの違いはあれど同じ東映という会社が関わってもいる。

以降石ノ森プロ作品とダイナミックプロ作品で東映をブリッジにアイデアや要素を相互に取り込みあい等していた、のではなかろうか。
同じ会社をブリッジとしているし、そもそもが師弟関係である。仁義を通すことなどは全く面識のない作家さんよりスムーズに行えるだろう。

*この仮面ライダーとデビルマンの関係性については私は詳しく調べていないのだが、こう仮定するなら仮面ライダーシリーズの設定を見ると(ダイナミックプロ作品で見たような)とちょいちょい引っ掛かることや、「原点回帰」として作られたはずの「仮面ライダーBlack」の主要人物設定などもわからなくもないのかなと思う。
「正反対の同一人物」「主人公(機体)が太陽のモチーフ」等と言った設定はダイナミックプロでは「ゲッターロボ」で明確に読み取れるようになるが、その源流はデビルマンの明と了にある。
平成に入ってからのシリーズの中には、ゲッターロボの一部換骨奪胎したんでは?みたいな疑いのある作品(脚本家がそれ以前に明確なゲッターロボオマージュ書いてる中島かずきさんだったり三条陸さんだったり)も複数存在している。
気付いても「関係ないやろなんでや」と思うだろうが実はこういった形で関係はきちんとあって使われていたんじゃないかと。
あと、これは個人的に気になっているだけなのだが、私はダイナミック作品に触れる前に「仮面ライダースピリッツ」にはまってたんだが、今読み返すとなんか特に石川作品の風味がある気が……(それはそれとして好きです完結待ってます!!)

「仮面ライダー」の影響下で誕生したのが「デビルマン」という作品であった。
そしてこの「デビルマン」という作品は後年に至るまでダイナミックプロ作品に影響を与えた、というよりも、基礎となった。

この「デビルマン」の特に漫画版を換骨奪胎、反転させて誕生したのが1974年「ゲッターロボ」(特に漫画版)となる。この際、「仮面ライダー」も同時に取り込まれていた。

(親╱師匠) 仮面ライダー→デビルマン→ゲッターロボ (子╱弟子)

なお「ゲッターロボ」の漫画版は石川賢先生の執筆となるが、石川先生は永井先生の戦友とも言われた人物である。
アニメ版と漫画版に共通する原案をはじめとする部分に永井先生もしっかりと関わられている。
(先の石ノ森作品との相互取り込みあいみたいなものはゲッターロボ前後から目につく事もあって、どうもこの「ゲッターロボ」という作品がなんかしらのポイント地点になってそうな雰囲気もあるが)

「ゲッターロボ」は1974年の作品となる。
1974年の開始時点から、この作品の主人公側は「協調性」をコンセプトにしていた。

第一条
 すべての人間は、生れながらにして自由であり、かつ、尊厳と権利とについて平等である。人間は、理性と良心とを授けられており、互いに同胞の精神をもって行動しなければならない。

世界人権宣言(仮訳文)

1948年、国連総会において採択された「世界人権宣言」第一条である。(日本国憲法の基本的人権とかを持ってきてもよかったんだけど、一応あの話は戦闘こそピンポイントなものの世界規模の話ではあるのでこちらを選んだ)

すべての人類は平等である。
そうであるならば互いに尊重しあわなければならない。
そしてそうするならば「多様性」が存在することになる。
多様性を前提に、万人が互いを尊重しながら生きるには「協調性」が必要となる。

勘違いしている人も多いが、協調性とは
他人に自分を合わせること(同調性╱主体性に欠ける)
⭕️違うもの同士が譲り合い妥協点を探して調和すること(双方に主体性がある)
である。

「同調圧力」という言葉があるように「同調」はどちらかだけに主体性がある状態のため、強制的に同調を求めるということはようよう起こりうる。同様に、自分を無理矢理他人に合わせてもそれは「同調」であって「協調」ではない。
この辺以前まとめたことがあるのでもう少し詳しく知りたい方がいたら下記事どうぞ。

現在ではあまりに当然な話と思われそうだが、おそらくは主人公側の明確なコンセプトに「協調性」をおいて、こういった理屈の上で製作されたのが「ゲッターロボ」であった。
(24年現在、漫画版に関しては映像化から資料解説までそのコンセプトすら忘却しているものが多いようだが)
東映アニメ史上、下手すれば日本の子供向け娯楽コンテンツ史上はじめて「協調性」を企画時点からの明確なコンセプトに置いた可能性すらあるのが「ゲッターロボ」という作品である。
(これ以前にも「サイボーグ009」を筆頭に「ガッチャマン(72年~)」「ゼロテスター(73~74年)」などのチームもの作品は多々あるが、下記のような特徴を満たしている確証が得られないのでこの辺は詳しい人に検証してもらいたい)

東映アニメ版も漫画版も共通して本編中に「協調性」の言及があることの他、
「三人ともが主人公である」ということはインタビューなど複数資料にも明確に残されているし、それが当時は珍しい試みであったことも読み取れる。

《「ゲッターロボ」プロデューサー 勝田稔男インタビューより抜粋》
ぼくはね、むしろ「主人公が3人いる」というところに魅力を感じたんですよ。
(中略)
脚本の上原正三さんと話したら「それは面白い」と乗り気になってくれてね。そういった部分を強調していこうということになったんですよ。

ゲッターロボ大全 26頁

《「ゲッターロボ」演出 勝間田具治インタビューより抜粋》
ヒーローが3人いるっていうのも画期的でしたね。

ゲッターロボ大全 29頁

この世界は万人が平等であり、「協調性」をコンセプトにするのであればなおのこと、全員が平等であるのは当然である。
誰か一人を特別扱いしてはならない。

*東映版などはゲッターチームの一員にはミチルが含まれていると読み取れたり、彼女や元気が主人公と読み取れる話もあり、この辺かなり徹底されている。勿論、ハヤトやムサシにわかりやすいが作り手の趣味好み、書きやすさ、動かしやすさなどでの偏りは存在するが。
また、東映版も漫画版も3人とも主人公としてそれぞれで話筋が通るようになっている。
誰か一人「だけ」を明確な主人公として規定していたならば、このようにはならない筈だと思う。

万人が平等であり、皆が主人公である、多様性と協調性の世界。それを描くために行われた、見方を変えればある種の「単独主人公の否定」
そう捉えればこの時代には尚更に異彩であっただろうこの作品は、他にも(東映アニメ版すら)優等生の皮の下で尖りまくりの部分が多々ある(せいで公式としては言えないことが色々沢山あるっぽい)のだがまあそれは置いておく。
(念のために言うがバイオレンスだのなんだの言われがちな漫画版も後年まで通してコンセプトなど変わらずまっとうな話である)

この翌年に「ゴレンジャー」が開始される。
3人の主人公を5人に増やしての、「複数主人公で構成されたチームによる」等身大「変身」ヒーローもの。
同じ東映という会社の繋がり。同じ脚本家である上原正三さんの関与。ここまでに述べた石ノ森プロとダイナミックプロの師弟関係と相互影響の可能性。
……そして、ゴレンジャーも、というより、(複数人が主人公である前提が存在するものにはなるが)戦隊ヒーローって基本は「協調性」の話にならないとおかしくない?

これらから「ゲッターロボ」が「デビルマン」と「仮面ライダー」を取り込んでいたように、「ゴレンジャー」も「ゲッターロボ」を取り込んでいたと言うのは、突飛な推測であろうか?

【「ゴレンジャー」に取り込まれたのであろう「ゲッターロボ」の要素】

さて、「ゲッターロボ」は「多様性」を前提にした「協調性」をコンセプトに置いたのだろうと話したが、これが表現されているうちのひとつがキャラクターや機体の色分けである。

戦闘服のデザインや色に関しては、当時子供たちにヒットした東映番組主人公モチーフであっただろうと私は推測している(リョウ:デビルマン、ハヤト:仮面ライダー、ムサシ:赤胴鈴之助╱この時点でまったく異なる作品の主人公たちが並んでいるイメージ=彼らは全員平等で対等な主人公であり多様性の表現とも読める)が、ここで取り上げたいのは彼らのパーソナルカラーとも設定された機体の色となる。

白黒から天然色の世界への変化と「三原色」

1970年代初頭はモノクロテレビからカラーテレビへの変遷期であった。
カラー放送自体は昭和35年、1960年からの開始となるが、下の通信白書内にあるグラフのカラーテレビの世帯普及率を見ればわかるように72年でも5割程度となっている。70年代初頭に急激に普及が進み、1975年くらいにカラーテレビの世帯普及率が9割となったという背景がある。

ゆえに、1973年くらいまでのアニメは正しくまさに「テレビまんが」であっただろう。
配色は「白と黒の世界」を基本に作られているものが多かったと推察できる。
この時代までの主人公に「白」が多いのもここに原因があるだろう。タツノコヒーローなど、ガッチャマン(72年~)もキャシャーン(73~74年)も白い。マジンガーZ(72年~)も基本的に白と黒の配色であるし、009の一番最初のアニメ(66年~)でのジョーもそうだったと思う。
主人公は「白」、敵は「黒」。
本当は多色多彩であるはずの世界を、たった二つの色で表現しなければいけなかった時代。
その制限がなくなり始め、多色を多色のまま見せることができるようになるのが、カラーテレビの普及が進んだ1974年ほどからだった。

「ゲッターロボ」という作品はこの恩恵をコンセプトに絡めて最大限に利用した。
「多様性」を前提にするのだから全員の服が同じでなくてもいい、色が同じでなくてもいい。
そして「変形・合体」をコンセプトともしていたために、「ダーウィンの進化論」(やはり多様性を前提とする理論で、全生命の平等にも繋がる)から「進化=変化、分化」を、「他者との協調性による調和での進化╱変化」と取り入れた。
千変万化に変化する可能性の根源。
それはあらゆる色彩を産み出す三原色とも置き換えられるだろう。
水彩画など、小学生からでも馴染みが深い「色の三原色」。

流竜馬(リョウ):赤
神隼人(ハヤト):青
巴武蔵(ムサシ):黄

そして、この三色でも発生しない「白」が早乙女ミチル

初代ゲッターロボの2号機、ジャガー号は「白」じゃないか、というのはそうである。
しかし、ジャガー号が水色~青で塗られている玩具の箱絵があったり、本編中ハヤトに使われている色は「白」にしろ「黒」にしても「青みがかっている」ものだったり、他だと、美術スタッフのコメントにこのようなものがある。

ロマンアルバム32「ゲッターロボ&G」85頁

コメント抜粋
「マシンの色も同様に三原色でキレイに性格づけたつもりです」
東映動画・美術 辻忠直

パーソナルカラーは何色だったかと言うと機体色の方が強かった形跡もある。挿入歌のひとつ(作詞が永井先生)には彼らの内面は機体の色と歌っている。

どうも、初代での変更の理由は不明なのだが、元々彼らのパーソナルカラーとして三原色が配置されている様子なのである。

「三原色」にはもうひとつある。

「光の三原色」
こちらはRGBと言われるように、赤、緑、青となる。
そして混ぜても作れない色は黒となる。
タイトル画像に使ったのがその図である。

この2つの「三原色」と作れない色を並べると
赤・青・黄・緑+白╱黒
この6色の並び、なにか見覚えはないだろうか。
戦隊ヒーローの基本色に多くはなかろうか?
ここに白黒ではなく、桃色・ピンクを加えれば、ゴレンジャーの色でもあるだろう。
(ゲッターロボでのイメージ解釈前提にすると色の三原色:赤+白=リーダー+マドンナ、光の三原色:赤+青=リーダー+サブリーダーともなる)

そもそもにして、キャラクターの色分けの根底には「(二種類の)三原色」をもって多様性を表現するという「ゲッターロボ」から引き継いだ意図があり、その為に後年まで長く使われ、結果として「王道」「テンプレート」として定着したのではなかろうか。
よく使われるものにはそれなりに理由があるんじゃないかっていう。

*光の三原色は「ゲッターロボ」では91年の「ゲッターロボ號」で取り入れている。
漫画版では隼人が黒を担当して、すべての色を作り出せるような構図を保っている。

《ゲッターロボでの色とイメージのまとめ》

リーダー熱血漢、怒りの代弁者、昭和硬派系九州男児(漢と書いて「おとこ」と読む系)、武士・戦士、竜・ドラゴン(リュウ、リョウ)、空手・カンフー(漫画版╱この時代は混同されていた)、居合い・刀(東映版)、空、バランス型、鷹・鷲(イーグル号)、太陽(ゲッター1系列は太陽のメタファーでもあった)
*なお「赤」は74年当時「女の子の色」のイメージが強かったようで、この辺も既存概念に囚われないダイナミックプロの「らしさ」や東映動画のチャレンジ精神であったかもしれない赤の主人公は「仮面の忍者赤影(67年╱こちらは赤青白の3人でやはり東映での実写版がある)」も該当すると思うが。

サブリーダー知的参謀役、長い前髪の面長な美形、クール系ニヒル系、都会の現代っ子、弟、死者の影を追う、赤の戦友で親友、現代で言う男ヒロイン、陸、スピード型、ネコ科大型動物(ジャガー、ライガー)、射撃蹴り技、オートバイ、ドリル、ハーモニカ(楽器)、なんかやたら死にかける
*ハヤトはモチーフ元の都合上もあって設定が過積載な上に、ひとりで青と白と黒の三つのイメージを重ねて持っていたために、後年には分割されて多くのキャラクターが生まれていると思われる
(青系列に科学者設定がつきやすいのも隼人が持っていたモチーフ元のひとつからと思われ、それが後年逆輸入もされている)

→コメディリリーフ、ムードメーカー、大柄な体躯、三人の中で一番精神的に未熟で幼い、純朴、情に厚い、女子供(や動物)に優しい柔道、海、パワー型クマ(ベアー号)、ミサイル、大食漢、メカを愛する(漫画)、マドンナに恋心を持つ、守りたいもののために自己犠牲で死亡する

→コマンダー(コマンドマシンは戦場を全体把握し合体指令を出す機体)、紅一点、マドンナ、、活動的、おてんば、勝ち気、品のある良家の娘・お嬢様、才色兼備、自立した女性、女戦士、総司令の娘

こちらのWiki(私は未見のため信憑性に疑問は残るが)と漫画版1巻を参考に、ぱっとゴレンジャーに引き継がれていそうな部分、関係ありそうなものは太字にしてみた。

そうでなくとも、「ゲッターロボ」の時点で、赤・青・黄+白は現在テンプレートと思われているイメージがかなり固まっている。
少なくとも、後年にまで続く色と人物像の連想イメージ、パーソナルカラーのテンプレートには「ゲッターロボ」の影響が大きいのではなかろうか。

「ゴレンジャー」漫画版1巻と「ゲッターロボ」の既視感

先の石ノ森先生の漫画版を1巻だけ買って読んだのだが、その際私にはとてもデジャヴっぽいものを感じた。

赤が空手家
テストのために唐突に襲われる赤
その際使われる火炎放射器
父が殺されて雨の中涙する赤
味方側組織がEGL(イーグル)

メカ恐竜(メカザウルス)が太陽エネルギー研究所(早乙女研究所╱ゲッター線のモチーフは太陽エネルギー)を襲うという話まであって二度見した。

と、まあ、一個一個は当時の流行りか偶然と思えるのだが、どうにも数が多くただの偶然とは個人的には思いがたい。

また
「青の幼友達が実は敵に所属していて青を裏切り罠にかけ、青は涙ながらに殺さざるをえなかった」
という話があるのだが、石川漫画版ゲッターロボG序盤の魔王鬼エピソードをなんだか思い出させもする。
手にかけるしかなかった後に「お前一人死なせはしない」と自分も敵の手にかかって死のうとしていたのも思い当たる節が多すぎた。
(「ゲッターロボ」における「三つの心」とは漫画版ムサシの「死ぬときは一緒だ」に代表される「生死を共にするほどの信頼関係」みたいなものである)

このエピソードは同じサンデーで同年の同時期に掲載されている様子のため、前後関係がよくわからないし、双方に共通する元ネタがあったのかもしれないとは思う。
時期的にこの後に東映版ゲッターロボGの暴竜鬼の話があって、なんか複数作品でモチーフをラリーでもしてるのかな? みたいなことになってるのも少し面白い。同じようなモチーフだろうと媒体と人の手によりここまで違うものになるのだなとか。
ともあれ、少なくともハヤトとアオ(新命明)で似たニュアンスを持ってしまう程度には方向性が似ていたのではないか、という印象がある。


私が現在ざっくりと系統立てて提示、説明できるのはこの程度となる。
どうにもなんだかこれ、少なくとも「ゴレンジャー」の直接的な親のひとりは「ゲッターロボ」では? と思うのだが、何故だか言及している人をあまり見かけない。
戦隊ファンではそんなに当然の認識なのか、と思いきや、アニメ系メディアの記事なんかでも「キャラクターの色分けの始祖はゴレンジャー!」みたいなのが多くて、ちょっと待ってくれと。それは違うだろうと。

聞いたところ、「スーパー戦隊における巨大ロボットは長浜ロマンロボシリーズと東映版スパイダーマン」との言及が公式よりあるそうだが、長浜ロマンロボシリーズにもゲッターロボの影響なかったか? とか、そもそもゴレンジャーから続く「スーパー戦隊シリーズ」の実質的な親のひとりはゲッターロボと考えたら一周回って親の要素取り入れた(戻ってきた)って言う視点があるのでは? とか色々思わないでもない。

これを「そもそもスーパー戦隊シリーズの根本にゲッターロボの影響がある」とすると、
なんだかハヤトの風味を感じたデンジグリーン(光の三原色だと赤緑青+青が黄スタンスに→緑に青のスタンスが回ったっぽい╱脚本にやっぱり上原さんがいる)の中の人が後年OVAゲッターロボで隼人役になる
とか
太陽戦隊サンバルカン(男性三人の珍しい戦隊と聞いて設定見に行ったら各所が引っ掛かった)
とか
原点回帰を目指したらしいギンガマンで赤リョウマで緑ハヤテ(笛の名手:デンジグリーンと同じ役割シフトしてそう)
とか
35作目記念で過去戦隊全部出した内容のゴーカイジャーのエンディングが「スーパー戦隊 ヒーローゲッター」(歌詞で全戦隊入れてるのでその前になる)で、アカレンジャーの他にマーベラスの血の繋がらない親でもう一人の父とか祖みたいなアカレッドって存在がいる設定
とか
(ゲッターロボのオマージュ作品である)グレンラガンの影響を受けたキングオージャー
とか
なんかこう、詳しくなくても思い当たる節が色々あるような気もしてならない。
(なんか話聞いたら協調性をきちんとやれてないのも多いらしくて首を傾げたが)

最後に

一応念押ししておくのだが、私は別にゲッターロボを始祖と認めろとか、パクリって言いたいのかとかそんな話は全くしていない。

最初にも述べたように、特にこの時代は多くのコンテンツの勃興と確立期にあたり、相互的に影響を与えあい、大きな時代の流れの中から生まれ来たものだろう。
ゲッターロボという作品自体、そこまでの多くの作品からの流れを汲んで、変化を重ねてひとつの作品として成立したものである。換骨奪胎は作品製作、創作の手法のひとつである。ゲッターロボの後にある作品もまたそうだろう。

そういった作品たちを、専門メディアであったり、研究者や編集者を名乗って語るなら、それなり時代背景やその前後の流れまで含めて考えてもらいたいものだし(これ書いてる私は本来そういうのド素人の門外漢だよ?)、まして明確に誤情報となるものを巻き散らかすのは本当に勘弁していただきたい。

ダイナミックプロ作品の特に漫画版は何故か90年代頃からその内容の多くが正しく流布されておらず、「ゲッターロボ」なんかひどいものである。
映像化作品やデヴォゲの存在も考えれば、(様々な要素から公式が色々と明言できないのをいいことに)メディアが結託して本来どういった話で文化史にどのような影響を与えたのかを隠蔽、捏造したいのではないかと疑ってしまうほどに内容がねじ曲げられ軽視され過ぎている。
その結果としてか、先の「キャラクターの色分けの始祖はゴレンジャー!」をはじめ、文化史上ダイナミックプロ作品の存在がミッシングリンク状態になってすっぽぬけている言説も見かける。

正直に言うが、このままではこの先漫画・アニメ・特撮などの文化史は民間レベルでは正しく伝わらず、限られた知識人だけが隠匿しているような状態になってしまうのではないかという危機感が私にはある。
実際に知らずにいて、ダイナミックプロ作品に触れてから自分の好きだった様々なものの空白が埋まることに驚愕したのが私だった。
付随して、先の明確な誤情報のようなもので歴史も書き換えられてしまう。事実は変わらないのに。作品はそこにあるのに。
私は文化史という今後も蓄積される公共の財産のためにも、それはよくないのではないかと思っている。

折しも「ゲッターロボ」はその誕生(1974年)から50年の節目を迎えたのが今年(2024年)であった。
興味を持たれた方はこの記事を叩き台にでもして半世紀前、ジャンルを越えて影響を及ぼしあいながら子供たちに真剣に向き合おうとした人たちがいたことに思いを馳せてみても悪くないと思う。
時に張り合い殴りあい、時に手を取り合いながら「時代」を作り上げていった人たちがいた、なんて、それはとてもロマンじゃないだろうか。

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