カラフルな切干しがリフォレスターにつながる○日前。その鍵は多肉植物が握っていた。
それは罪悪感のようなものからはじまった
カラフルな大根とにんじんで作った
華(花)切り干し(はなっぽいのは2種類あるので書き分けたい)や、
糸切り干し、平に干して型抜きした切干しなどの
沼にハマっていったコロナ1年目の冬。
同時に気になることが出てきていました。
それは、どうしても食べられない部分と、
そもそも食べない部分の野菜くず。
実は、大根とひとことで言っても
青首大根以外は皮が硬かったりします。
料理番組でも20年くらい前は
大根の皮は厚く剥くのが常識で、
買った大根の皮を細切りにして切り干し大根にするというのも
それなりに衝撃で、
なんなら大根は下茹でしてアクを抜いてから調理する食べ物だったんです。
今では考えられませんが、
生の大根は、渋みや苦味、辛味のある野菜だったんです。
大根を余すところなく食べられる野菜へと改良された
日本の種苗会社の方々を本当に尊敬します。
青首大根や最近出回っている三浦系大根以外の
カラフルな大根の皮はやはり硬めで、
けれど硬いと言っても食べられないほどではないので、
半生干しにして食べられないこともありません。
ただ、きんぴらにしたとしても、結構頑固な食物繊維なのです。
つまり食べにくい。
極薄切干しでは、皮の下から大根の背骨までの間の層が
一番発色が良く繊維も柔らかいのですが
大根によっては背骨が雑草の茎ほど硬いものもあり、
あまりに硬すぎる場合はこの部分も廃棄に回ります。
それをもったいないと考えて
余す所なく無駄なくいただくには、腸を相当鍛えないと難しい。
少なくとも私には刺激が強かった。
腸に与える繊維質にも限度があると実感しています。
※大根の背骨とは、表皮から3つ目の層にある
ネット形状の硬めの繊維の層のことを勝手にそう呼んでいます。
それに、葉と茎の付け根も食べるにはちょっと難しく、
仕方なく燃えるゴミになっていただくしかありません。
にんじんにしても、やはり皮の部分は切り干すと色が悪くなって、
食欲どころではありませんし、味に土気が混じります。
ひと昔前の大根の皮が食用に向きづらく、
切り干し大根にして食べる以外は捨てられていたように
野菜くずを捨てることは集合住宅住まいでは
どうすることもできない仕方がないより普通のことなのです。
ですが、何か気になる。
気になってしまうのです。
もしこの野菜くずを活用できるとすれば、
コンポストしかないだろうと思うけれど。
コンポストには踏み切れない理由
コンポストは生ゴミで堆肥を作るということだし、
堆肥を作るということは、堆肥を入れる土と植物が必要になる。
我が家のベランダは一部多肉植物は枯れない環境になったとはいえ、
大半は草も生えないベランダデスバレー。
多肉植物のためのデッキでも植物の栽培を試みたけれど、
ちょっと寿命が伸びたくらいで相変わらず植物にとっての環境は
何一つ変わっておらず、
それは肥料のせいではないことも実験済みで
植物が育たないのであれば、肥料だけあっても仕方ない。
それだけならまだしも、
デッキを作ってしまったが故に調子に乗って土を増やしてしまっていて
結局植物が育たなかった土がまるまる残ってしまっていました。
私の住む自治体では土はゴミとしても、資源としても
回収してくれないのです。
回収されずベランダデスバレーに残る土、
肥料として再生するポテンシャルがあるのにごみとなる野菜くず。
せめて庭でもあればなんとかできそうな気もするけど、
ここは集合住宅、地上からはだいぶある
環境的には崖に面したデスバレー。
書籍でも、ネットでも解決策を見つけることはできてこなかった
見捨てられた土地なのです。
それでもコンポストのことを考えてしまう。
当たり前と言えば当たり前ですが、
世の中に個人のベランダに特化したコンポストを極めた人はいないのです。
なぜなら、集合住宅のベランダは日照も形状も
統一企画があるわけではなく、
その方法を統一企画化して提案するには手間もリスクばかりが大きくて
実利がまったくないからです。
実利の件は一旦置いておくとして。
コンポストは、一時ブームにはなりましたが
現在でも使い続けられている家庭はどれほどあるでしょう。
コンポストが普及しきらなかった理由について
思い当たるところがいくつかあります。
ベランダの環境要因で植物が育ちづらく、作った堆肥が使えなかったこと。
コンポストは腐臭が発生しやすいこと。
腐臭に寄ってくるコバエや黒いアイツに悩まされがちなこと。
分解までの時間が思ったよりかかること。
堆肥としての効果がわかりづらいこと。
このうちの2.3.4については集合住宅という特性上
思わぬ「近所迷惑」が発生してしまうことと、
腐臭が干した洗濯物に移ってしまうという生活を脅かす
重大なリスクがあり、
この2点に関してお母さんは決して見逃すことも妥協することも
できないのです。
大根、にんじんを消費すれば野菜ゴミは増える、
この野菜くずを捨てる際に量の多さにわずかに罪悪感を感じてしまう。
でも、解決策はない。
せめて、あのベランダの残土で植物が育ってくれたら。
せめて、うちでもリスクのないコンポストができたら。
解決できない思いは、
切干し作りが面白すぎてやめられないのと比例して、
日に日に高まるばかり。
酷暑を生き延びた多肉植物が導く冒険
コロナ禍が2年目に突入したお正月休み。
コロナ禍ということで、
子供達とも距離を置いたままの一人と猫2匹の新年も、
カラフルな切干しを作ったり、それを動画にしてみたり。
寂しいよりも案外充実して過ごしていてました。
お正月にしてはうららかな陽気で、
干したばかりの色とりどりの切干しを眺めながら
その下で小さな花を咲かせている多肉植物を愛でていました。
ベランダで残っていたのは、
前年の酷暑を生き延びた多肉達と
寂しくて新たに買い足した多肉達。
そのほかにもカビや害虫で消えていったものもあったりして
それは育て方を知らなかったせいだと悲しむ反面、
「よくぞこんなに生き残ってくれた!」という嬉しさもありました。
なんせこのベランダはデスバレー。
多肉達が育ち、切干しが作れるこのデッキの下は
さらに地獄のデス渓谷だったのですから。
多肉植物のおかげで、どれだけ私の心が救われたか知れない。
「多肉植物達よありがとう。」おもわず感謝の言葉がこぼれます。
それにしても、
この奇妙で愛らしい植物はなぜ肥料も水もほとんどいらないんだろう。
君らの故郷はどんなところなんだろう。
そこでどんなふうに生きているんだろう。
知りたい。多肉の故郷のこと。
多肉の故郷を知れば、
もっと多肉が枯れさせないことができるかも知れない。
疑問は私の生きる糧と言っても過言じゃない。
この思いが後にリフォレスターの開発につながるとは
思いもかけない昼下がり。