40代、人生の正午に男性育休を取得する(その1”きっかけ”)
コロナ禍への対応が世界的課題となった2020年、40歳を迎えた日、私が感じたことは、漠然とした「人生このままでいいのか」。
そんな人生の正午に、男性人事マネージャーの自身が第2子で初めて1年間の育休を取得するに至ったきっかけをほどいていきます。
人生における育児の価値
7年前、私にとって、長女が生まれた瞬間は、職業観を揺さぶる大きなインパクトを持った出来事でした。
「誰のための仕事を選ぶか」
その問は、私の職業選択の出発点。
娘の誕生まで、漠然と「未来を作る人」を「誰」の答えとして据えていたところ、親となった実感が、この輪郭をはっきりとさせていくのが感じられました。
「この子が、しっかりと自身の思いを未来に向けて紡いでいくことができるように、私自身が、仕事を通じて何をなすのか。」
Will-Can-Mustの前提となる使命感に辿り着いたような感覚です。
そして、人事の仕事をしていた7年半、多くの育休者、育休復帰者との対話で、この使命感は、幾度となく呼び戻されます。
一方、育児休業がキャリアに及ぼす影響として持たれる印象は人によっては様々で、プラス面とマイナス面は、たとえば、次のような具合いに両極端。
(プラス)赤ちゃんはVUCAの具現化したもの。育児は変化対応力が鍛えられる
(プラス)育児&家事は、究極のマルチタスクの訓練
(プラス)育児に向き合うことは人生に向き合うこと。育児を通じてキャリアはより明確になる
(マイナス)育児で疲れ果ててしまい、仕事(キャリア)のことなんて考えられない
(マイナス)自身のキャリアより育児のほうを優先したい
「人生における育児の価値」なんて一概には言えないかもしれないけれど、育児に専念してみれば、自信をもって、私にとっての価値を語れるようになるかもしれない。そして、他者が価値を見出すための支援が可能となるかもしれない。
そんな思いが沸々と、私を育児休業へいざなっていったのですが、このときはまだ、「取れたらいいな」くらいの軽い気持ち。
「四十にして惑わず」
孔子はそう言うけれど、私にとって40歳になった2020年のあの日は、人生の針路を失い、惑い始めた記念の日。
今でこそ「記念の日」と言えるのですが、その日は、人事の仕事のダークサイドをてんこ盛りに、朝から晩までパッケージングしたような一日で、私のフォースが暗黒面に堕ちないか冷や冷やものでした。
そして、残業後の帰宅中、ちょうど40歳という節目の誕生日を振り返り、今後の人生を考える。
昨日までの自分から今日に至り、今後、その延長線上の未来にしかならないとしたら、私はその人生に満足がいくかどうか。
延長線上の未来にしたくないと思いながら、私は、自分で自分の人生の針路を決めていないのではないか。
組織から与えられたポジションに満足感を覚えながら、組織から与えられた役割を忠実に遂行し、組織から定期的に金銭的報酬を受ける。
毎日の目標はオフィスに行けば見つかり、オフィスでのメンバーとの関係性に満足し、仕事でそこそこの達成感を得て帰宅する。
このように組織に依存して、組織内キャリアにどっぷり浸かりきった人生を送る私は、日々の不安や不満を自分事としてコントロールすることすら放棄してしまっていたのかもしれません。
ともあれ、そのような人生最大の迷いとともに、私は40代のスタートをきったのです。
「人生の正午」を自覚するとき
迷いに満ちた40代を迎え、真正面から人生を考えるため、いくつかの新しい学習を始めました。国家資格キャリアコンサルタントもそのうちの一つです。
「人生の正午」は心理学者ユングの言葉で、キャリア発達や危機の理論で習います。
40~50代という幅のある年代を指してはいますが、このとき人は、予期せず人生のピークを迎え、人生の終着である死を意識する。正午から後の太陽と同じように、あとは下降していく。
人生の正午には価値観と理想の転倒が起き、いわゆる「中年の危機」を迎える。
死を意識するからこそ、人生の充実に真剣に向き合える。
私の場合、まだまだピークというには青臭い。けれど、この先の自身の人生の充実のために、過去に築いてきた価値観や理想は度外視して、次のアクションを考えたい。
私にとっては、「人生の正午」を自覚したときからこそ、自分らしい人生を創っていく長い旅が始まったように思います。
こんな気づきが、これまで組織内キャリアにどっぷりと浸かって構築してきた昇進・出世などのキャリア観を転倒させて、「人生における育児の価値」に浸る1年間の休業生活に私を向かわせたのでした。