いつかきっとわかるときが来る
今、目の前に起こっていること、或(ある)いは、自分の身の上に起こっていることについて、「一体なんで?」とか「どうしてこんなことばかり続くの……?」と思えて仕方ないようなときは、きっといつかこのことの意味が分かる日が来る、いつかきっとわかるときがやって来る、そう信じることで心を支えてゆけることもあるかな? そう思います。
そうは言っても、あまりにも不本意な状況が長く続くようなときって、そんな悠長なこと言ってられませんよね? でも、スピリチュアル的に物事を考えてゆくなら、自らの人生に起こることの全て……とは言わないまでも、そのうち何割かの出来事というのは、自分が生まれる前に神様と練りに練って決めたシナリオなのであり、そのシナリオにそって次々に出てくる様々な展開を通じて学ぶこと、或いは、肉体を持って様々な感情を経験すること、そして、それらの全てを通じて、自らの愛の器を大きく深く広く豊かにしてゆくことが大切……なのですね。
となってくると、ここで、カトリックでも言われるところの(っていうか、カトリック「で」言われること、のほうが正しいのかもしれない)「神は乗り越えられない試練をお与えにはならない」というお話に繋がってくるのですよね。そう、どんなことにも必ず何らかの意味がある。それを今すぐにわかることは出来ないけれど、天に召された後、神様とご一緒にそれまでのた人生を動画で振り返ったなら、「ああ、あのときのこれが、このときのこれに繋がっていたのか……!」みたいに腑に落ちるだろうってお話なんです。
わたくしの場合、今回が人間として生きる最後の人生なので、次の人生にいろいろと持ち越しが出来ないわけなんですよね。だから、ものすごく多いです。再会とか、同じ職場にもう一度舞い戻る、とか。っていうか、そんなのばっかりです。だから、一度ダメだったことも挽回のチャンスが与えられるってこと、沢山ありました。っていうか、本当にそんなのばっかりです(笑) 面白いですよー。わたくしの人生。
だから、きっとね、今なんでこんなことが起こるんだ!? みたいに思えてならないことも、ちょっとだけね、視点を変えてみられてください。そうすれば、きっと何かが変わってくると思います。少なくとも、運命というものの犠牲者であることはなくなるでしょう。運命に翻弄されるのではなく、運命という波をうまく乗りこなしてやる!! そう言えるくらいの気概でもって物事にあたってゆくほうが断然いいですよね? まぁ、すぐにそうは思えなくても、わたくし達は決して運命の犠牲者なんかじゃない、むしろ、その運命のシナリオは事前に自らが設定してきている部分もあるのであり、きっとこの困難も自らで乗り越えてゆける!! そう信じてゆくなら、きっと道も開けてゆくのではないか? と。
まぁ、いつもがいつもそんなふうに考えられないかもしれませんが。というか、考える必要もないのかもしれませんが。でも、ひとつのものの見方、考え方として、頭の隅っこに置いておいていただくだけの価値はあるんじゃないかな? そう思います。
どうぞ貴女のお心にいつも希望の光がありますように。心の空に虹が美しく輝いていますように。最後までお読みくださいまして、ありがとうございます。God bless you!!