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想い出の小径(こみち)

今はどうなっているかわかりませんが、わたくしが箱根のリゾートホテルさまに勤務させていただいておりました頃、お世話になっておりました寮からの出勤時、いつも山の中の小径を徒歩で通っておりました。それはまさに「森の中を歩く」といった感じのものでございまして、特に秋の紅葉時の樹々の美しさといったら、それはそれはは本当に見事でございました。当時の秋の箱根も沢山の観光客の方々が世界中から訪れていらっしゃいましたが、いつも自然林の中を歩き、その秋の美しさを充分堪能しておりましたわたくしはどこか紅葉を見に行かずともよかったです。今思うと、あれは大変贅沢なことだったなと改めて思います。

その通勤の径のそばに、ひときわ美しく色づく紅葉(もみじ)が一本ありました。その紅葉さんは結構大きな樹でございまして、樹齢もそれなりにあったのではないか? と思います。なにせ箱根の山の中の自然林でございますから、もうその美しさといったらまさに天からの贈り物といってもいいくらい、本当に素晴らしいものでございました。ですので、秋はとにかくその紅葉さんを含め、様々に色づく木々の美しさにうっとりする思いで毎日通っておりました。これまでわたくしは70くらい、様々な事業所様でお世話になってまいりましたが、後にも先にもあんなに贅沢な通勤路は未だかつてございません。やはり「箱根が最強!」でございます。

秋が過ぎ、高いお山の町・箱根に度々雪が降り積もるようになったら、今度は木々に白いほわほわの雪が積もった中をいそいそとホテルまで歩くことが増えました。雪を踏みしめて歩く出勤の径はそれなりに大変でもありましたが、それでもわたくしはあの径が大好きでした。寮の周囲もすぐ森でしたので、そこここで、ころっころに太った(?)まぁるいメジロさんを冬は沢山見かけました。時々雪に滑って、中には転んだこともございましたが、冬の間も、あの径は先輩や同僚の方々といろんなことをお話ししながら、楽しく通った道でございました。

春が近づき、流石(さすが)は箱根のお山の中、今度は瓜坊(うりぼう)さん達を引き連れたお母さんイノシシさんが闊歩(かっぽ)するようになってからは、残念ながら、その径を通ることもなくなりました。一度、真正面にイノシシさんが6匹こちらに向かって歩いてきたことがあって、あのときは心底青ざめました。結局そのときどうしたのか、今となってはよく覚えていないのですが、多分、そろりそろりと刺激しないようにその場を足早に去ったのだと思います。(確か、引き返した記憶があります) 丁度その頃、当時お世話になっておりましたホテルさまで、近隣のホテルのスタッフのかたがイノシシさんに襲われてけがをされた、といったニュースが地元のネットワークを通じて入ってきました。それを聴いて皆で震えあがったものです。そうしたイノシシさん騒動が出てからというもの、わたくしは大好だった森の通勤路を使うことはなくなりました。

そうこうしているうちにわたくしは箱根での勤務が終わり、あのお山の町を去ることになりました。わたくしが丁度箱根を去った日は、お世話になっていた寮の周りも、最寄りの箱根登山鉄道の駅の辺りも、そして、小田原まで降りてゆく車窓の風景も、至る所にさくら、さくら、あちこちでさくらのお花が満開で、そのお花さんたちにも「よく頑張ったね、さよなら!」とあたたかく見送ってもらったような気持ちになりました。

大好きな箱根を去って15年、あれ以来一度もまだ帰ってはおりません。なぜなら、自分の中で、ある夢を実現するまでは絶対帰らない、もし帰るとしても、箱根湯本の手前まで、と固く決めているからです。

わたくしにとりまして箱根は生まれ変わりの大切な場所であり、心のふるさと、でございます。この世に生まれた場所、大学時代を過ごした場所、父祖の地、その他にも沢山ご縁のある京都、そして、育ててもらったここ滋賀の土地も勿論大事ですが、でも、箱根はそれ以上にわたくしにとって、まさにかけがえのない土地です。あの箱根町にいつか必ず夢を叶えて、帰ることが出来ますように。そう思い続けて、もうものすごい月日が流れてしまいましたが、いつか必ず帰りたいです。いえ、帰ります。そして、もし今もあの森の小径がまだ残っているのなら、是非もう一度歩きたいです。そのためにはイノシシさん達が多く出没する季節は避けなければなりませんね(笑) でも、ほんと、帰りたいです!、一日も早く、大好きな箱根に。そして、かつてあの森の小径でお友達や先輩方に意気揚々と語っていた夢をちゃんと形にしてゆきたいです。あの日の夢をどうか必ず形に出来ますように。大好きなお山の町に必ず帰れますように。そう心から祈る2023年の秋分の日の夜です。