「にいかっぷのピーマン食べに行こうや」
リエンギのアトリエの住人もりけんです。
今回は、タイトルの一言から始まった
2024年夏の物語を綴ろうと思います。
東京は目黒区出身の喜劇俳優もりけんには、
昔から兄のように慕う存在の方がいます。
大阪は枚方市出身の“てつおさん”という音楽家さんです。
この物語は、そんなてつおさんからもらった電話でのやり取りから始まります。
◼️2024年1月
てつお「もりけん、北海道行こうや」
もりけん「良いっすねぇ〜、でも飛行機ですよね?」
てつお「せやで」
もりけん「あぁ〜俺お金ないんで無理です」
てつお「ママチャリで行ったらええやん」
もりけん「ママチャリすか!?」
てつお「うん、もりけん昔、東京から北海道の宗谷岬までママチャリで行ったことあるやん」
もりけん「そうですけど、あれもう10年前っすよ」
てつお「今でも行けるって。ほな決まりな」
(ここで一つ疑問が生まれる)
もりけん「てつおさんすいません、そもそもなんで北海道なんですか?」
てつお「新冠のピーマンが美味しいねん」
もりけん「にいかっぷ?ピーマン?」
てつお「特産品やねん、新冠のピーマン」
もりけん「特産品。。。にいかっぷのピーマンが。」
てつお「だから、にいかっぷのピーマン食べに行こうや」
もりけん「はい。(ピーマンを食べに行くだけのために北海道?)」
てつお「あとな、ピーマンの歌作ったから」
もりけん「ピーマンの歌ですか?」
てつお「もりけん、それで歌手デビュー目指そう。」
もりけん「歌手デビュー!?え、俺、喜劇俳優ですよ?」
てつお「ピーマンの歌で歌手デビューしたら子供番組とか出れるやん」
もりけん「確かに出られたらうれしいですね」
てつお「全国各地でピーマンの歌を歌いながら新冠のピーマンを宣伝してきてや」
もりけん「わかりました」
てつお「7月到着にしとこうか?今からでもええけど」
もりけん「いえ、雪がない方が助かるので7月でお願いします」
てつお「ほな決まりね。また連絡するわ」
もりけん「はい、ありがとうございます。失礼します」
そこから約半年間に及ぶ、
もりけんが歌手デビューを目指す
“ピーマンママチャリ企画”がスタートしました。
これは後で知ったことなんですが、
てつおさんの大好物はピーマンだそうで、
2023年に初めて新冠町で食べたピーマンの美味しさに感動し、
それがキッカケで生まれた曲が『たそがれピーマン』だそうです。
企画と言っても、あくまでセルフプロデュースなので、
もりけん個人のInstagramやTikTokをメインに自己発信を続けて参りました。
発信の際にお世話になった方々は
・ダンスの振り付け
(元エグスプロージョンのスヌーピーJさん)
・北海道のことを歌う『知らない町で』の楽曲提供
(magcafe at gardenのkiroさん)
・たそがれピーマンのコーラス
(3児のママシンガーの大黒ひかるさん)
・ピーマンネイル施術
(奈良新大宮のネイルの先生の和田愛美さん)
・ママチャリ購入
(奈良田原本のサイクル屋の林さん)
などなど、たくさんの皆さんに協力していただき、企画は少しずつ進んで行きました。
ちなみに、念のため説明しておきますと
ママチャリは電動タイプではなく、6段ギアがついている人力タイプです。
◼️2024年4月
目黒区の実家から千葉の犬吠埼へ、実家のボロチャリで往復300kmのトレーニング。
◼️2024年5月
琵琶湖一周トレーニングのために、大阪の枚方市に引っ越しました。
その後、奈良でチャリ旅用のママチャリを購入してから気づきました。
“出発地点が必然的に大阪になってしまったことに”
東京→北海道
の予定が
大阪→東京→北海道
となり、走行距離が500kmほど増えました。
まぁその方がオモロいからええか。
私自身はそんな感じのノリでした。
レコーディングを終えてからしばらくして、てつおさんから2つ報告がありました。
①にいかっぷふるさと祭りに
『たそがれピーマン』で出演させてもらえることになったよ。
②新冠ピーマン楽団とコラボしてオーケストラバージョンの『たそがれピーマン』を披露することになったよ。
豪華すぎるサプライズでした。
これも後で知ったのですが、
ハイマグの皆さんが、
お祭りの実行委員会の皆さんに掛け合ってくださったことで決まった粋な計らいだったそうです。
ママチャリの旅のゴールで、
最高のステージを用意してくださったことに勢いづいた私は
日高のこぶ黒牛のごとく鼻息荒く大阪をママチャリで出発しました。
◼️6月〜7月
大阪⇒東京 541km (4日間)
東京⇒青森 703km (5日間)
1日平均130kmの距離を走りました。
多い日では200km近く漕ぎました。
「自分はなぜこの苦行のようなママチャリの旅をやっているんだ。。。」
毎日そんなことが脳内をよぎりましたが、
その日の目的地まで到達できた時の達成感は、他の何ものにも変えられない高揚感があります。
喉元過ぎれば熱さを忘れる。
苦行からの高揚感からの睡眠で回復してからの苦行。
その繰り返しの日々でした。
本州から北海道へは
八戸から苫小牧まで運航するフェリーを使いました。
ここで気づきました。
早く着きすぎた、と。
北海道に上陸したのは7月6日
にいかっぷふるさと祭りは7月13日
1週間も早く着いてしまったので、てつおさんに相談をしたところ
てつお「ほな、今から言う地域を回ってピーマン宣伝してきて」
とのことで
札幌
旭川
富良野
帯広
えりも岬
各地方のネットカフェや、民宿を利用しつつ全て回りました。
ちなみに、私の行った時のえりも岬は“無風”でした。
約750kmを走って
新冠町の看板を見た瞬間、涙が溢れ出してきました。
自分はここ、新冠町のピーマンを食べに来るためだけに、
大阪から半月かけて、約2,000kmの距離を駆け抜けて来たんだ。
と思うと込み上げる熱い気持ちは抑えきれませんでした。
そして、にいかっぷふるさと祭りの本番では、
御徒町 凧さんのMCの元、
てつおさんのギター、
新冠ピーマン楽団の皆さんと一緒に
『たそがれピーマン』をお届けすることができました。
すべては、
地元のお祭りの実行委員や運営の皆さん
ハイマグのメンバーの皆さんの協力を元に達成できた夢のような時間でした。
さらには、旅を見守り、応援してくれた仲間たち、
新冠で出逢った皆さんと、
新冠のピーマンを通じて繋がることが出来ました。
本当にうれしかったです。
心から感謝しております。
あれから1ヶ月以上経った今でも思うのは
絶対に成し遂げてやる、という気持ち一つがあれば、夢は実現できる。
そんなありきたりな一言に尽きます。
自分はただゴールを目指してママチャリを漕いで前に進んでいただけなのに、
新冠町で出会う方の多くが笑顔になって喜んでくださった。
こんなにうれしいことはありませんでした。
僕にとって、新冠での皆さんとの出会いや、起こったすべての出来事は、人生の景色が変わる瞬間の連続でした。
実は、祭りの後、予想だにしない展開がありました。
今回は書き切れないので、
それはまた改めて綴らせていただこうと思います。
以上もりけんでした。