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書くことは大事です。

私は、昔から何かを書いたり、読むことがが好きだった。

学校での作文や感想文は、小学生なら誰もが面倒くさくて、ちょっと照れくさくて・・
読書感想文は、本を読んだ感想を書くという、自分の出来事を書く作文とは違う書き物だ。

もちろん、本を読んでないと書けないのだが、私は文章の沢山書いてある本を読むのが
実は面倒で、本来は少し苦手である。

物語の全体を読み終わった上で、物語の主人公やそれを取り巻く人の気持ちに共感したり、
疑問を持ったりと自分の気持ちを織り交ぜながら、作者の意図を最終的に読み取り、
作者が読者に伝えたいことを感じ取る。

ジャンルによって、この感想文は随分と違う味が出来上がるが、読書感想文の発表を通して
その子供の感性と知性が垣間見られるので、どんな本を読んで、
どう感じたのかを聞いているのもまた面白いのである

普段の友達同士での会話では、発見できない心のあり方や物事の受け止め方を、
読書感想文を通して私はいくつかの発見ができたし、自分自身も発見できたのが、
読み書きをしていた幼少期の深い思い出である。

正義感に燃えて、先生の片腕となりクラスを支えていたしっかり者の小学生時代とはうって変わって
兄弟が出来て、中学生になった頃からの、私の性格はあまり目立つほうではなくなっていったのである。

ちょうど家庭環境も様変わりし、何不自由ない頃の暮らしとはだんだんかけ離れてしまうような
困った状況が公私共に続いていき・・
私は自分の特技であるピアノにさえも嫌悪感を示すようになってしまった。

そして、どんどん離れて普通の中学生をただ過ごしてしまったわけであるが、
それでも音楽の授業でのパート練習や、学内で行われた合唱コンクールの伴奏などは
それまでのピアノの経験があったので携わりながら、ピアノの伴奏を懸命に練習し、
合唱とあわせ、我がクラスは「モルダウ」で優秀賞を獲得したのである。

皆で必死に音楽に取り組む姿勢と、楽しさを私は日々実感していた。
そして、転校した学校においてもこのような学内でのピアノの活躍により、
友人にも恵まれ、何とか平和に卒業して高校にも行けたのである。

書き物は、中学校では主に友人との交換日記や手紙などの日常でのやりとりが盛んだった。
仲の良い友人と、授業中にこっそり渡しあい、こっそり読んで、交換日記なども同じように行い・・

ノートを何度とりわすれそうになったかわからない。

友人の書いてくる内容に衝撃を受けたり、励まされたり、時には腹が立ったり・・・

今のような携帯もない時代だったので、伝えたいことは声に出すか、紙に書く。
コミュニケーションが苦手な人が増えたのは、こういった手段が、
今はすべて手軽にケータイで出来ることにあるのかもしれない。

自分の気持ちをより表現したくなった高校時代の私は、エッセイやポエムを書くようになり今では合計で100あまりの詩やエッセイが書き溜められている。

そう、物事は「書く」そして「続ける」ことに意味があるのだと、当時から感じていたので、そうしたのであるが後の人生において、あの頃の感情と考えが今でも影響力があるほど、
深い意味を持っていることに驚きを感じる。

詩集に引き続き、数冊のノートを書き続けているが、カテゴリーがすべて違うこれらの活動を、どういう風に一つにまとめるのか、そのマネジメントに今から頭を抱えている。

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