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「ヴィンテージ」という概念を、建築や不動産に対しても持つ。それは、これからの家選びにおける大事な考え方
クセが強い。だからこそ好き。プライベートでもヴィンテージ派
こんにちは。新潟市を拠点に、建築デザインと不動産業を展開するReeL株式会社の代表を務める想像する建築家・弦巻大輔です。2024年4月20日(土)に、リノベーションマンションの常設モデルルーム「ReeL vintage(リール・ヴィンテージ)01」をオープンしました。
僕たちのリノベーションは、「建築にもヴィンテージを」がコンセプト。オーダーメイドのフルリノベーションで新築同様に設計できますが、その物件固有の経年変化を「新築にはない魅力」に転換して、デザインに落とし込むことも提案しています。
そんなわけで、今回のコラムのテーマは、わがReeLのフラッグシップともいえるモデルルーム名にも冠している「ヴィンテージ」。大辞林によると「製造時期や型式による希少性があり、時間の経過とともに価値の高まった製品」とあります。僕自身、プライベートでも「ヴィンテージ」とカテゴライズされるものが、大好きなんです。初回でお伝えした企業理念に繋がる部分にもなりますが、今回は僕の「ヴィンテージ」愛について語らせていただきたいと思います。
まず、僕が思う「ヴィンテージ」の魅力とは。
①クセが強いからこそ愛おしい
②時間の経過、時代の変化に耐えてきた強さ
③これまでの持ち主の愛着が伝わること
まとめると、この3つかなと思っています。それぞれ、ひも解いていきますね。
① クセが強いからこそ愛おしい
僕の「ヴィンテージ」への入口は、10代の頃の古着(ただし安価なもの)だったと思います。大人になるにつれ、アクセサリーやバイク、車などを選ぶ際、自然と「ヴィンテージ」とカテゴライズされるものに惹かれるようになっていったんです。何がいいかって、クセがあるところ。むしろ機能性では選んでいないですね。あえて機能性で選んでいるものは、パソコンなどの家電くらいでしょうか。そういうものは、クセがないからこそ壊れても替えが利く。でも、ヴィンテージ製品は替えが利かない。2度と作られることもない。「君の代わりはいないから」っていう感じです(笑)。
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特にバイクとか車の旧車って、クセがすごいんですよ。 例えば、僕が40歳くらいのときに手に入れたポルシェ911は、40年以上乗り継がれていたいわゆるヴィンテージカーなのですが、もうすべてが好きですね。デザインも乗り心地も、エンジンの音も。サイズが小さめなところもかわいい。「前のオーナーは家族みんなで、ぎゅっと近い距離で乗っていたのかな」と思いを馳せたりして、ちょっとタイムスリップしたような気分になったりもします。
ハンドルはめちゃくちゃ重いですし、エアコンがないから夏と冬はさすがに乗れないんですけど、そういう不便さもひっくるめて愛おしいですね。誰もが快適に乗れる感じではないんですけど、「自分はちょっとの不便さとか、ちょっとの不快さ、そういうものも含めて好きになっているんだな」っていうのがあって。
バイクも同様ですね。こちらも40代になってから買った1984年製のハーレーダビッドソンは、乗っているときの振動もハンパないんですけど、その振動もたまらなく好きですね。ヘルメットも1970年代のヴィンテージ品です。
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アクセサリーは、自分が生まれた1970年代のものを集めて、その日の気分によってつけています。ちょっと値が張るものを買うときは、新しいものとも比較するんですけど、結果的に古いものを買っているかもしれないですね。
これって、食べ物とか人間関係も同じだなって思うんですよね。
食べ物でいえば、ファミリーレストランのハンバーグって、大好物にはならないですよね。100人いたら100人がおいしいと感じられるように作られたものは、もちろんおいしいんですけど、「これ、すっごい好き! 定期的に食べに行きたい」とはならない。
人間関係も、八方美人な人よりも、最初話していて「めっちゃこの人、合わなそう」と思うようなクセが強めな人と、意外と長い付き合いになったりすることもある。自分に合うクセを持ったものだからこそ、好きになるんだなあと。
今の建築も、おそらく乗り物も、ほとんどのものがそうなんですけど、幅広い人の好みに合う最大公約数的に作られているから、クセがないんですよね。そういうものを自分が大好きにならない理由は、クセがないからツボに入らないのかなっていう気がしています。
②時間の経過、時代の変化に耐えてきた強さ
ヴィンテージ品ではなく新しいものを買うとき、あるいは自分が新しいものを生み出すときも「未来で、これはヴィンテージたり得ているのだろうか」ということは考えるようにしています。
例えば、車はモデルチェンジすると、前のモデルがダサく見られちゃったりすることがありますよね。「型落ちの車に乗っている」みたいな。だから新車を買うときは、そうならないものを選んでいるつもりです。「時代の変化に強いもの」を選ぶ。
また愛車の話になり恐縮ですが、僕が普段乗っているJeepは最新型の1つ前の型(JK)なんですけど、乗っていても全然恥ずかしくないです。なんなら、今の型よりも格好いいなと思うくらい。そもそもJeep は、1940年代ぐらいから、ほぼ形が変わっていない。伝統が継承されているブランドだと思います。
車とかバイクとか家とか、金額が高いものって、それだけたくさんの資源を使っている割合が高いじゃないですか。そうしたものを買うときは、時間の経過で廃れにくいものを選ぶようにしています。自分自身、家を設計するときにも、その視点は持つようにしています。
③ これまでの持ち主の愛着が伝わること
ヨーロッパの人たちにとって、高級腕時計は自分が所有者だけれども、先祖から譲り受け、この先何世代も続いていくものを預かる感覚だという文化があるみたいなんです。“継承していくロマン”みたいなものも、ちょっと感じますよね。地球からいただいた資源で加工した製品を大事に使って、世代を超えてリレーしていくような感覚。ある意味、未来にも有益な宝物だからこそ、大事に受け継がれていくのだと思うんです。
僕のポルシェ911も、毎年ちゃんとメンテナンスに出しています。ヴィンテージとして価値が上がっているようですが、転売する気はまったくありません。大事にメンテナンスしながら乗り続けて、 自分が乗れなくなったら息子に譲る。もし息子がいらなければ、誰か大事にしてくれる人にバトンタッチするつもりです。だから、一時的に自分が預かっているっていう感覚かもしれないですね。
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そもそも旧車も、出た当時は新車であって、替えが利くものだったはずですよね。でも、時間が経てば経つほど替えが利かなくなるので、なおさら愛おしくなってくるんです。ヴィンテージとして長く生き残っている製品は、やはりブランド力と品質の高さ、その後のメンテナンスがあってのことだと思います。そこが、ただ単に古いものと、時間が経つほどヴィンテージとして魅力を増していくものの違いかもしれないですね。愛着がわく製品だからこそ、しっかりとメンテナンスされ、受け継がれていく。「以前のオーナーさんからも大事にされていたんだろうな」という愛着が伝わってくるところも、ヴィンテージの価値であり、魅力です。
建築におけるヴィンテージの魅力と価値とは
建築においての「ヴィンテージ」にも、同じことが言えるのではないでしょうか。
建築における“ブランド力”とは、立地やエリアが持つ潜在力の高さだと考えられます。その中にカウントできるものとして、災害への強さと生活の利便性、眺望などは、非常に大きな価値を持つと思います。
新潟市内でいうと、新潟島とその近郊エリアが挙げられます。中央区の関屋や西区の青山は地盤も強く、その区間を結ぶ西大通沿いの砂山ゾーンは水害の心配もないと思います。また古くから人が集まり栄えていたエリアなので、線路も駅もある。“ブランド力”のある魅力的なエリアだからこそ、新旧の住人が入れ替わりながら街が新陳代謝し、熟成されています。そこに立つマンションも、「この箱を買った」というより、「この利便性や眺望ごと手に入れている」というところに価値を感じるのではないでしょうか。
だからこそ、残るべきエリアの、残るべき建物を買った方がいいと、僕らは考えています。例えば新潟市中央区の関屋エリアや西大畑エリアも、昔から栄えていて熟成されています。将来的に少子高齢化が進み、人口が減少しても残る街だと思います。
とはいえ今、新潟市中央区の古町エリアが衰退しています。その大きな理由はモータリゼーション。車が普及し始めて、ほとんどの一般家庭に行き渡ったのが1970年代の終わりぐらい。モータリゼーションが進んでしまうと、大きな駐車場を備えた郊外の大型ショッピンターが有利になり、中心街はどんどん空洞化して利用効率が低くなってしまうんです。
ただ中長期的に見れば、自分たちの首を絞めている状態だと思います。少子高齢化が進めば、公共交通機関が少ない郊外に住む高齢者は、いずれ運転ができなくなったときに生活の利便性が下がるからです。そうなると、徒歩で生活に関わる用事が足りる古町エリアは完全復活を遂げると思います。もうしばらく時間はかかるかもしれないですけどね。
ちなみにヨーロッパでは、郊外の大型ショッピングセンターで買えるものと、街の商店で買えるものを分けたりしている都市もあるみたいですね。街のお店が衰退しないように守られています。
潜在力が高い中心街の土地は、代々住み継がれて街が熟成している。その反面、郊外のニュータウンは、そもそも、その土地やエリアのポテンシャルが低いから、不動産の利用が一世代で終わってしまい、街が新陳代謝しないという問題を抱えることになります(参考記事:2023年の「限界ニュータウン」 | URBANSPRAWL -限界ニュータウン探訪記-)
「ヴィンテージ」という概念を、建築や不動産に対しても持つ。これからの時代、家を選ぶ方にとってはそうした考え方も大事になります。購入する前に、「この土地は、この建物は、次の世代に継承できるだろうか?」という問いかけをすることが、未来の宝――整理された、人口密度が高いコンパクトな街――を作ることに繋がっていくのです。
いいエイジングとは? 人としても、ヴィンテージたり得たい。
マンションリノベーションの常設モデルルーム「ReeL vintage(リール・ヴィンテージ)01」を開設した日東サンシャイン(新潟市西区青山)も、まさに地盤の強度やエリアの利便性、窓から見える景色も含めて、ほかとは代えがたい魅力があります。時間を越えてきた強度に対する信頼感。残ってきたことこそが、強さの証明でもある。管理が行き届いた建物のエイジング(経年変化)は、やっぱりすごくいいんですよ。新しい建物には出せない味や魅力がある。もう、オーラすら漂っているように見えますね。
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だから僕自身、住宅やマンションのリノベーションを引き受けた場合、魅力的なエイジングはどこかに残すようにしています。お客さんから「全部、つるっと綺麗にしてください」と言われても、「いやいやいや、この梁は残したほうが絶対いいですよ」と粘ります(笑)。素材に対し、「お前の良いとこ知ってるぜ! お前のここが好きなんだ!」っていうのを、ちゃんとデザインに落とし込みます。
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人間のエイジングも、そうかもしれないですね。そもそも資質として持っているものを、時間の経過とともに磨いていけるか。健康を保つために、ストレッチや筋トレをしているとか、サプリを飲んでいるとか。それも自分自身への愛着ですし、メンテナンスですよね。もちろん、運動機能や肌ツヤなどは若い人には劣りますが、10代、20代の頃の自分には、年齢と共に経験を重ねてきた今の自分のようなアウトプットは絶対にできないわけで。
そう考えると、車も建築も、そして人間も、本来持っているものプラス、愛着とメンテナンス。そこらへんがうまくいくと、古くても価値が減りにくくなったり、時を経たからこそ代え難い魅力が出てくる。
僕自身も、人としてのヴィンテージたり得たらなと思っています。「エイジングこそ魅力だ!」って、ヨボヨボな建築家が言っていても、説得力がないでしょうからね(笑)。