
「何もしない」ができない妻。「何もしない」をする息子。
妻は「何もしない」ができない人である。
もちろん、家事育児は忙しい。何もしないとか、言っている場合ではない。
ただ、「何もしないこと」は無責任、開き直りではなく能動的な態度である。意識して「何もしないこと」をしないと、できない。
自動操縦的に生きていると、「何もしないこと」などできない。
ひとは勝手に湧いてくるあれやこれや(あ、大根買わなきゃ、あの人ムカつくよね嫌い、鍵閉めたっけ?、ケーキ食べたい)に、流される。
そこから意識的に抜けだす。
勝手に湧いてくる思いを、一歩引いた視点で観察し続ける。あるがまま受け入れる。
自分はこんなこと考えてるんだ、、、と
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子ども達は達人である。
つねに「何もしない」をしている。
その瞬間に集中する。
あれやこれやが湧いてこない。その一点(カードゲーム、テレビゲーム、マンガ、お絵かきなど)以外は、関係ない。
だから、集中しているときに何を言われても、
弁当を洗い場に出さないし、洗濯ものは洗濯機に入れないし、ゴミはすてないし、時間はまもらないし、宿題やらないし、風呂も入らないし、早くねないし、歯もみがかない。
おとなの事情なんて関係ない。
いまをしゃぶりつくしている。
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こんなことを長々と書いているわたしも、「何もしない」ができていない。
「子どもの無為」への焦燥と、あこがれを感じる。
以上、今日も「考える葦」に来ていただき、ありがとうございました☺️