見出し画像

体育館でバドミントンを指導する見知らぬ父親に違和感を感じたこと。

子どもは部下ではない。

息子と近所の体育館へ行った。

バスケットコートでシュート練習。

隣の区画にバドミントンコートがある。
そこで父親と息子(小4ぐらい)と娘(小1ぐらい)が練習している。

シャトルを何十個も使った本格的な練習。


怒号がとぶ。

「なんでできないんだ、お前は」
「どう考えているんだ」
「意識しないなら帰れ」

常に怒鳴る父親。

ヤ○ザのような形相。

うなだれ、固まる息子。


これで、息子がバドミントン好きになるわけがない。

このやり方で一時的に強くなって、どうなるのだろう。

長続きしない。

息子は、いつか気づく。

自分がされたことを。


息子を本当に強くしたいなら、
まず父親が自分を見直すのが先。

「なぜ伝わる教え方ができないんだ、自分は」

「息子のことをどう考えているんだ、自分は」

「指導する資格があるのか、自分は」

冒頭の「子どもは部下ではない」は、

部下であってもだめ

まして我が子をや

威圧による他人の制御は虚しい。

「息子のため」は、「自分のため」にしか見えない。

バスケット練習しながら、そちらばかりが気になった話でした。

以上、最後までありがとうごいました☺️







いいなと思ったら応援しよう!