ちいここ、3日目[2023.03.05]
ついに最終日がやってきました。
この日は、前の日に行った古民家ホテルに併設されたパン屋さんで買ったフォカッチャを朝ごはんに食べました🥐
(毎回食べるのに夢中で撮り忘れるのなんとかしたい、、)
看取りご遺族のお話
朝ごはんを食べたあとは、病院にて最後のプログラム。
前半は、看取りを経験されたご遺族のお話を聞く時間。
先生から簡単に患者さんの当時の状況や経過を教えていただいたのち、娘さんお2人がお話をしてくださいました。
実際に患者さんからお話を聞く機会はこれまでにありましたが、ご家族の方のお話をきちんと聞くのは今回が初めて。
当時のことを思い出すことで辛いこともきっとあったはずですが率直な思いを語ってくださいました。
残された時間
お話の中で、一番私が印象に残ったのは、
病気が分かってから治療が進む過程で
「選択する時間が短い中で(治療方針などの)判断をしなければならない」
「自分達が(恩を)返していける時間が限られている」
という言葉でした。
昨日まで何事もなく元気に過ごしていた家族に突然病気が分かって、生活が一変する。つい最近私自身も経験したことでした。
患者さん本人も家族も悲しみ、不安を感じて混乱していても、時間や病気は待ってはくれません。
刻一刻と変化する状態に合わせて、どのような治療を選択するのか、その判断が患者さんと家族に判断が委ねられます。
緩和ケア=あきらめ?
今回お話をしてくださったご家族は、最終的に緩和ケアを選択されたそうです。病院への入院や定期的な通院によって行う治療ではなく、住み慣れた家で、身体的・精神的な苦痛を取り除く治療に切り替えた、ということです。
私自身、緩和ケアに対してあまりネガティブなイメージはなかったのですが、ご家族の方にとって、「緩和ケア=あきらめ」というイメージがあって、なかなか踏み切ることができなかったと話してくださいました。
今している治療を続ければ副作用はあっても治るかもしれない、し、治らないかもしれない。もし治療をやめてしまったら、それはつまり、残された時間を短くしてしまう、病気を治しもっと長く生きられるかもしれないのにそれを諦めることになってしまうのか。。
きっと本当に悩まれ葛藤されたことと思います。
自宅で看取る、ということ
1日目でも少し書きましたが、自宅での緩和ケアを進めていくとなると、家族の協力は必須です。
入院すれば、設備の整った病院で、ナースコールを押せば専門家である看護師や医師が駆けつけて対処をしてくれる。自宅では、大抵の場合、専門家ではない家族が対応しなければなりません。
24時間対応してくださる訪問看護師のサポートもありますが、咄嗟の対応や緊急事態が家族だけで過ごしている時に起こるかもしれません。
一方で、自宅で看取るからこそできることもあります。
今回、ご遺族のお話の後に講義をしてくださった先生がおっしゃっていたのは、自宅で過ごすことによって
・家族の力を発揮して支え合える
・最期まで家族と共にいられる
ということ。
今回のご遺族の方も、それぞれの知識や経験を活かして自宅での治療のために必要なものを手作りしたり、協力して家族で一緒にいられる時間を過ごしたりされていました。
人生をどう終えるか
誰にでもやってくる、死
悲しいし寂しいけれど、全ての人にやってきます
だからこそ、人生の最後の時まで、自分らしく家族らしく過ごすにはどうしたいいのか。家族が家族として過ごせる時間や環境をどのように作るのか。
今後医療に携わるものとして、真摯に向き合いたいと感じるようになりました。
医療者として患者さんに関わる時間は、患者さんにとっては長い人生の中のほんの一部でしかないけれど、その時間によって"悔いなく""穏やかに"患者さんとその家族が来たる時を迎えられるかが左右されると感じました。
最後に
今回のちいここでの地域医療ツアーを通して、本当にたくさんの学びを得ることができました。
日本各地でそれぞれの夢に向かって頑張っている医学生たちとも出会うことができたし、日々患者さんとそのご家族と向き合っていらっしゃる医療者の方々の姿を見ることができて、ものすごく有意義な時間を過ごすことができました。本当にありがとうございます。
自分がこれからどのように医療という分野で、自分にしかできないことを見つけて走っていくのか、その道を切り開いていく上でも重要なことをたくさん学べたことに感謝しています。
今回のツアー企画者の皆さん、協力してくださった谷田病院の皆さん、ありがとうございました。
ちなみに
最終日の午後はちゃんと熊本観光もしてきましたヨ😂
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