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飛行機体験記〜全てはこの両親の元に生まれたところから〜

こんにちは、Ree Stoneです。
週一投稿を目指していましたが、色々忙しくなりなかなか厳しそうです…
が、とにかく続けることを目標に書いていきます!どうかよろしくお願いします。

さて、LCCとFSCの違いを(ぶっつけで)言い切って、何を書こうかと悩んでました。
そんな時、改めて「自分はどうしてこんなに飛行機が好きなのか」を紐解いていこう。
そうして、更に自己理解や飛行機愛を深めていきつつ、魅力を伝えていけたらと思いました。
ということで、「体験記」として、記憶を頼りに自分の飛行機の体験を語っていけたらと思います!
どれくらいの長さになるかは分かりませんが、どうぞお付き合い下さい。


1.生まれ育った環境

生まれが九州の南方なのですが、母が東北の出身でした。
ですので、赤ちゃんの時から飛行機に乗って、母の実家に行っていたそうです。
勿論直行便はないので、羽田か伊丹での乗り継ぎ。
その時はまだ羽田も冲展したばかりの時で、真新しいT1を使ってたのかな?と思いますが、自分の地元にもジャンボ機が飛来していたそうで、それに乗っていたそうです。
ジャンボのアッパーデッキで泣き叫ぶ自分を、CAさんがあやしていたそうですが、記憶があるわけもなく…
といった感じで、乳幼児期から飛行機に乗る機会が多くありました。

ただ、記憶に残っている中では、伊丹で乗り継ぎをしていたものからしかありません。
母に聞くと、「歩き回れるようになったあんたを羽田みたいな大きなとこを連れて歩けん」と言われ、今思うと大いに納得…
ローカル線とローカル線の乗り継ぎで、JAS(日本エアシステム)をよく使っていました。
JALはおろか、ANAに乗った記憶は殆どないですね…
機材もDC-9の流れを継ぐMD-81,MD-87,MD-90ばかり乗っていました。
現在では上記全ての機材が日本の空からは姿を消しており、懐かしみつついい体験をしたと思えますね。JASも消えましたし。
ただ当時は、主翼にエンジン吊り下げの飛行機がとても羨ましかったです笑

そんな小さな飛行機ばかりに乗っていたので、伊丹空港で見るジャンボやDC-10なんかにはとても憧れました。
あの頃の景色はおぼろげにしか覚えていないですが、平成初期の空港の景色こそ、自分の飛行機好きの原点なのかなと、今では思います。

そんな環境でしたから、2〜3年に一度飛行機に乗る機会があり、「母の実家に行く」ことが分かる度に飛行機に乗れると、大いに喜んでいたように記憶しています。
そこまで頻繁ではないけれど、丁度いいくらいの経験回数だな、と今では思います笑

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2.機内での体験

機内での体験も、特別なものばかりでした。
まずは、音声プログラム。
子供向けのアニメのOP/EDを流すものもあり、歌っては怒られていたのを覚えています笑
当時の貸出用イヤホンは聴診器のように、線の部分がプラスチックで丈夫に出来ており、それも面白かった記憶があります。
ただし、機材によってはそれすら付いていないものもあり、子供ながらに退屈していた記憶もありました。

小学校4年生の頃まではおもちゃも貰えて、それも一つの楽しみでした。今でもハッキリ覚えているもので、MD-90のプラスチックでできたモデルプレーンがあります。
主翼と尾翼ははめ込む方式になっていて、かなり出来が良かったように思えます。飛行機熱が再燃した頃に片付けたおもちゃ箱を漁ってみましたが見つからず…今オークションなんかに出品すれば、結構いい値がつきそうな気がします笑

当時もドリンクのサービスはあり、アップルジュースをよく飲んでいた記憶があります。航空会社のロゴの入った紙コップを、テーブルにあるドリンクホルダーにはめ込むのが楽しかったですね笑
今でもMD80シリーズの2-3配置の座席とJASのカラフルな座席とアップルジュースの味はセットで染み付いています。


振り返ってみると、家庭環境で幼少期から飛行機に乗る機会が多く、とても恵まれていたなと思います。
そういえば、修学旅行で飛行機に乗ったとき、歓声が上がったのはかなり驚きました…笑

久々の更新ですが、ここまでお読み頂いてありがとうございました!

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