同居人を同居人と呼ぶ理由

同居人の誕生日なので、同居人の話をしてみる。

私の同居人は、私のひとつ年下の男性で、まあ平たく言えば、彼氏です。

なるべく第三者に彼の話をするときは、個人名や同居人やパートナーと呼んでいるわけですが。
(まあ、そういう呼び方をするだけでエネルギーを浪費させられるくそったれな場面もあるので、疲れない程度にですけど)

なんでなのかは、人によっちゃあいくらでも理由が浮かぶと思います。
多様なSOGIを包含した語彙を定着させるためとかね

それもあるけど、私がいちばん意識しているのは、私たち2人の関係を型にはめて捉えられたくないというところが大きいです。

「カレシに奢ってもらいな」
「カレシも喜ぶんじゃない」
「カレシの影響?」

うっせーーーwwwwwwwまじで
勝手に私の“カレシ”をあんたのなかで構築してエンターテイメントにするのやめてもらっていいですかね?
ということが、そこそこあって嫌だからです。

“カレシ”は“男性性”と結びついた記号。
私の同居人は男性であり、いわゆる“男性性”も多分に持ち合わせたり時にはそれを楽しんだりしていますが、時には男性性に煩わされたり苦しんだりもしてますよ

お互いに結びつけられた記号をどう扱おうか、どう解こうか、私たちはともに考えあぐねて、言葉を投げあって、懸命に、この関係性を繋ぎ止めてきた
どうでもいい誰かの酒の肴にされるために“カレカノ”をやってんじゃないんですわ。

“未婚のカップル”だと夫婦よりもこの標的になりやすいのも何なんだか。

私たちは永く一緒にいるつもりだけど、結婚していないし、する予定も決まっていない。
苗字をどうするのか、問題含みの婚姻制度に乗っかってしまって良いのか。
結婚をするという選択肢がある特権的な立場だからこそ、その特権をどう使うべきかわからなくて、ひとまず立ち止まっている。

悪態ばっかりついてしまいました
読んでくれている人をモヤモヤさせたいわけじゃなかったのに……

ええと、でもね
私はこの悪態を糸口に、自分と違う立場にある人とも地続きでいられているんじゃないかって思っているんです。

同じ立場ですなんてことは、言えないけど
ちゃんと私たちの立っている場所は繋がっていると信じている。

私がいま、アライとして考えられるあり方は、そんなかんじ

話が逸れましたが。
こういう悪態を、「せやな」と受け止めたり、一緒についたりしてくれる同居人がいてありがたい!!大切にする!!というド真ん中の自分語りでした

同居人に限らず、いろんな形の関係性をいろんな人と持っていたいです
あなたとはどんな関係性を作っていけるでしょーか

同居人チャン誕生日おめでとー
私らの間に流れる温かみに、もっといろんな人を巻き込んでいこうネ
あと家事頑張るね。

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