![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/165006306/rectangle_large_type_2_f5b5c1717c01d7395b2e3cbd52065171.jpg?width=1200)
最近のモヤっとすることたち
25歳になってから
「モヤっ」とすることが増えた
24歳までの私はそこまで悩むこともなく、
楽観的で、「自分は日々が楽しい!幸せ!」
と思いながら過ごしていた。
所謂、人生イージーモードみたいな感じで、
高校受験で進学校の推薦試験で落ちて、一般入試で推薦試験に落ちた高校より一つ学力が下の進学校に受験して受かった時の方が、人生ハードモードだった気がする。その時は勉強が本当にキツくて嫌になりながらも頑張っていたのを思い出す。
結果として、推薦で落ちた高校は女子校が共学になった高校でかなり女子割合が高い高校だったので、こんな女子ぽくない女子の私にとっては、一般入試で受かった家から自転車で通える男子校が共学になった男子割合多めの高校で合っていたと思う。本当に高校は母校でよかった。あの時推薦に落ちた時は泣いたけど、結果オーライだったということだ。
大学受験は、AO入試で合格した。
たまたま、高校の当時の担任の先生の息子さんがその大学の学部に受かっていて、その学部が地域活動をすることがカリキュラムのメインだったため、青少年赤十字クラブ(ボランティア部的な)の部長だって私は、担任の先生に「竹本に合うじゃん!この大学!」と言われて、自分もそう思い、受験した。当時、一緒に受験した同級生はみんな落ちてしまって、私だけ受かったのは少し気まずかったけど、今となっては飲み友達となっている。その同級生が面白いことに、私が就活時に最終的に新卒入社した会社の説明会に来てて、まさかの再開し、私は内定をもらいその友達はまた落ちてしまい、大学受験と同じことが起こって、本当に申し訳ないa &縁が切れそうだったが、結果その友達がめちゃくちゃいいやつだったので、まだ友達でいれている。進路の度に被るので、なかなか面白いな〜と思っている。笑
まぁ、話はめちゃくちゃ逸れたが、
その後、大学で地域活動やインターンなど様々なことをして、友達もたくさんでき、最後には自分で自分の卒業式ツアーを開催して、総勢70人が参加してくれて、たくさんの人にお祝いされながら卒業したので、自分でもまぁまぁ楽しい人生だな〜と思っていた。
社会人になり、会社に入社して、
研修期間3ヶ月を終え、本配属で同期の中で1人だけ岡山配属で気合を入れて岡山に引っ越しをして、仕事を頑張っていた。当時の仕事はかなり現場業務に近くて、フルーツの出荷作業をメイン担当にしており、パートさんの勤怠管理やフルーツの仕入れ管理、出荷の現場作業を日々していた。正直、他の同期と比べると泥臭い仕事をしていたが、知らない土地で友達もほぼいないなかでも、岡山にいる大学の友達と先輩に頻繁に会ったり、ゴミ拾いに参加して同世代の友達を作ったり、パートさんたちと仲良くしたりとしながら、プライベートも充実して仕事も楽しんでいた。なので、現場仕事で思い描いていた仕事ではなかったが、日々すごく楽しかった。同期たちは「華金〜!」と言いながら飲んでいるストーリーを上げているのを頻繁に見ていたが、岡山でも辺鄙なところに住んでいたし、岡山に同期もいなかったし、私がダントツで残業もしていたこともあり、華金など一回もしたことなかった。当時は少し羨ましさもあったけど、それ以上に楽しさが勝ってひとつも苦痛ではなかった。
そこから、急遽、色々とゴタゴタがあり、熊本の本社に転勤することになった。
急遽来た熊本で、仕事も全部丸投げされてしまい、部署の先輩やメンバーともあまり馴染めず、急に来た新人の私が1番担当数を持ち、毎日22時、23時まで残業をして働いていた。
その時初めて、
「あ、私、可哀想な人だ。」と思った。
そして、「私は不幸なのかもしれない」
とも思ってしまうようになった。
周りの同期や先輩は、定時で帰り、私だけ遅くまで残業。熊本に友達もいるわけもなく、先輩には怒られ、何度か会社の会議室で泣いた。
(当時の部署の同期は本当に優しくて、助けてくれていたけど、その2人以外なかなか助けてくれる人がいなくて、本当に苦しかった)
今でも当時を思い出すと泣けてくるし、
本当によく頑張ったと思う…
その後、数ヶ月後に部署のほとんどの人が辞めてしまい、急に私が部署内の平社員で歴が長い人になり、より担当数が増え、抱え切れないほどの仕事をしながら、新卒で入ってきた後輩たちを教えていた時は、こんなキツくて苦しいのにその先にまた苦しいのがあるのか…とかなりショックを受けたのを覚えている。
まぁ、そんな苦しい日々を終えて、
今年は社内も業務量や残業、給与が改善されて、だんだん会社は良くなってきている。
その時は、日々生きることに必死で、
1年先、3年先、5年先、10年先の未来なんて考える余裕もなく日々を過ごしていた。
余裕ができたことで、少し先の未来を考えるようになった。
そのタイミングごろ、辞めた会社の同期たちか結婚していき、結婚式のお誘いがき始めた。
嬉しい気持ちもありつつ、
彼氏がいない仕事人間の私は、
なんだか自分が将来に向けて何も進められてない気がして凄く悲しくなった…
それが、25歳の誕生日を迎えるごろだった気がする。
24歳の時は環境的にも何も思わず日々を過ごせていたが、25歳になってから色々と考えてしまうようになってしまった。
これから一生愛してくれるような人がいなかったらどうしよう、
結婚できなかったらどうしよう、
この会社をこのまま続けてもいいのだろうか、
熊本にこのまま居続けてもいいのだろうか、
下関にはいつ帰れるのだろうか、
私のことを本当に想ってくれる人はいるのだろうか、
私の幸せは何なんだろうか、
もう、本当に考えてしまうようになった
それにより、日々小さなことでも「モヤっ」が出てくるようになってしまった。
直近のモヤっでいくと、
先日大学のゼミのOB OG、そして現役生が集まる忘年会があって参加してきたのだが、
その時、私のようなOGは何の仕事をしているのかを話す際に、現役生が私が新卒入社した会社名を知っていたのだ。大学は北九州で、私の会社は熊本にあるベンチャー企業なので、かなりその業界のこと興味ある人でない限り、知らない会社のはずなのだが、知っていたのだ。
なので、「何で知っているの?」と聞いたところ、「同級生が入社するから」とのことだった。
それだと全然納得できるのだが、その次に「かなりやり手の社長さんですよね〜」や、「今創業何年目ですか?」や、「まさに、『やりがい』って言うイメージです!」などと言われ、悪気はないと思うが、少しモヤっとしてしまった…
その話をしてくれた現役生の子たちは、大手企業に内定をもらっていて、私の会社のようなベンチャー企業ではなかった。また、私の会社と比べても給料は良いだろう。
正直、私の働き方の反対のような感じがした。
今まではそんな違いがあっても、
「やりたくないことしてお金もらうより、
やりたいことしてお金もらった方が良くね?」
ぐらい言って(実際に言わずにそのまま頭の中で思うパターンもあるが、)自分の意思を保てる人間だったが、何だかその時はモヤっとしたまま、「自分の選択肢は合ってたのだろうか、」と不安になってしまった。
また、私自身、きつい時期もあったが愛社精神があるから、地元に帰っても実家の仕事をしながらも会社を続けているわけで、会社の悪口を言われた気持ちになってしまい、悲しくなってしまった。
そんな感じで、
本当に最近は考えすぎて、
ちょっとしたことで悲観してしまう。
昔からその気質はあったのだろうが、
25歳になってからよりその瞬間が多くなり、ちょっとした「モヤっ」が自分が最終的に不安になるような気持ちになる、という悪循環が起こり、今決して日々が楽しい!幸せ!と思えてない自分がいる。
まぁ、多分考えすぎなだけなんだけど、
自分自身が「可哀想な子」と想ってしまうことが何度かあり、落ち込んでしまう。
考えすぎてしまう時こそ、noteとか書いたらもっと考えが悪くなりそうだが、noteを書くことでやりきった感じがして考えるのを辞めれたりするので、少しありがたい場所だったりする。
数年前、尊敬している人から
私が日記を書いている話をしたときに、
「その時の感情は何かしらで残しておいた方がいいよ、後で見返して、この時こう思っていたのか〜と振り返れるから」と言われて、それも大事にしている。
数ヶ月後、数年後、このnoteを見て、
「この時こんなに思い悩んでいたのか笑笑」と笑えたらいいな〜と思う