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23/04/30 #004 救いたいものができた時に救える自分でありたい

ベガルタ仙台を佐々木知廣社長を評して阿部さんがツイートしてた言葉だ。

この言葉が妙にグサリと心に突き刺さった。

なぜなら自分もそうありたいと思っていたと思い出したからだ。

友達、恋人、家族、私の周りには大切にしたいと思える人が両手で数えられるくらいはいるのだが、その人たちが何かに困ったとき、助けられる存在になりたい。そう願っている。

例えば思いつくのは

・親の介護
・お金を騙し取られた
・リストラされた
・好きなことやりたい
・東京に住みたい

などなど。

「東京に住みたい」などは従兄弟の子どもたちが言い出したら叶えてあげたいなーと思っていることで比較的簡単に叶えられそうだが、「リストラされた」人に対して仕事を恵んであげられる力はまだない。

そもそも仕事を恵むべきか、それとも違う問題発見と解決法を考えてあげるべきなのか、それすら判断できる状態でない。

そう考えると自分はまだまだ力不足なのだと痛感する。

もっと励めよ。と自分に言いたくなる。

最近会社員になって2年目に突入したこともあり、どうにも安定思考が染み付いてしまい上昇志向がなくなっている気がする。

これくらいでいいかと自分の本当の気持ちに蓋をしてしまっている気がするのだ。

もっともっとこうしたいああしたいという欲求が2-3年前まであったはずなのに、それがめっきりなくなったというか…

このままじゃいけないなと思っているところに「救いたいものを救える力がある大人に」という言葉は妙に刺さったのだ。

もっと励めよ。どうありたいかを思い出せよ。

そう言われてる気がしてならない。


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