初夏の信州はとても美しい。
綺麗な写真をとったり、この豊かで美しい信州の自然を形容できるほどの語彙を私は持ち併せていないので、信州定点観測byMMさんの記事をお借りする。
ちなみにいうと、夏の信州は美しく、秋の信州は美しく、冬の信州は美しくて、春の信州は美しい。
信州に限らず、日本の田舎であれば、どこもそうであろう。
なぜなら、そこに「自然」があるから。
「自然」を英語に訳すと、直訳では「nature」ということになる。
しかし、恥ずかしながら、私は未だにこの「nature」という言葉の使い方がよくわからない。
イギリスの語学学校での授業で、「私の地元には美しい自然がある」という意図で「Beautiful nature」という言葉を使ったら、「そのような使い方はしない」と先生に指摘された記憶がある。
少なくとも、視覚的な「自然」を説明する場合には使われないようだ。
「そうなのか?」と思って、日本語的な意味でいわゆる「自然」に触れることができる場所のホームページなどを調べてみる。
例えば、私が住んでいたチェスターから電車で15分ほどのところにある、デラメア・フォレスト。
次に、ノース・ウェールズにあるスノードニア国立公園。
https://snowdonia.gov.wales/visit/
最後に、ピーターラビットでおなじみの湖水地方。
面倒くさいので翻訳はしないが、「nature」という単語がどこにも見当たらないのがお分かりいただけるだろうか?
(スノードニア国立公園のHPに「natural lake」という語が見受けられるが、これは「自然に発生した湖」という意味と思われる。)
代わりに登場するのは、「landscape」とか「wildlife」といった言葉たち。
「landscape」は「(絵になるような)景色・風景」
「wildlife」は「野生生物」
と訳すことができるだろう。
日本人の私からすると、景色を見て「自然豊かだ」ということができるし、野鳥やキツネなどといった野生生物も立派な「自然の一部」だろうと思ってしまう。
では、どういったときに「Nature」を使うのか?
とりあえず、Oxford Learners Dictionariesに答えを求める。
これによると、
「宇宙に存在するすべての植物と動物で、人間の手によって作られたものでないもの」
ということなので、まさに「自然」そのものである。
そして、Oxford Learners Dictionariesにはちゃんと続きがある。
つまり、「自然の美しさ」だとか「私たちは立ち止まって驚嘆して自然を眺めた」というような文脈では「nature」を使ってはいけませんよ、ということである。
しかし、なぜなのか明確な理由は書かれていない。
どこか、専門的なジャーナルだとか、書籍をあたれば答えが見つかるのかもしれないが、私は英語の先生でも言語の専門家でもないし、第一そこまでかける労力も持ち合わせていない。
したがって、ここから先は私の独断と偏見と希望的観測に基づく、勝手な考察である。
要は、あくまで仮説の域を出ないということを留意いただきたい。
イギリスの自然
さて、英語の「nature」は、「人間の手がつけられていないもの」を意味し、日本語の「自然」も直接的な意味としては同じである。
では、その背景はどうであろうか?
言語としての英語が発達したイギリスという国には、街中の公園や、田舎の農場など、「緑」自体はとても多い。
しかし、それらは「人間の手の加えられた緑」であり、「nature」の意味するところの「人間の手がつけられていないもの」ではない。
データ分析に詳しくないので、ソースとして信頼のおけるものかは不明であるが、こちらのサイトによると、イギリスの国土に占める森林面積の割合は13.22%。
世界226の国と地域のうち160位であり、中東のアゼルバイジャン(13.83%)と、アフリカのモロッコ(12.89%)との間である。
「自然」を単純に森林割合だけで測れるわけではないかもしれないが、イギリスにおける「手つかずの自然」が、少ないことを示す一つの指標となろう。
したがって、イギリスの人々は「手つかずの自然」に触れる機会が非常に少なく、それに伴って「nature」という語でも、視覚や触覚のような感覚的な文脈で使用する機会が失われてしまったのではないかと考える。
日本の自然
では、かえって日本はどうであろうか?
日本の国土に占める森林面積の割合は、なんと68.41%で、世界で22位である。
よって日本には「自然」と呼べるものが、相当程度存在していると言えよう。
それもそのはず、日本人という民族は太古から自然を神々として崇拝し、自然とともに生きてきた。
例えば、日本語に「稲妻」という言葉がある。
これまた信頼置けるソースなのか不明であるが、こちらのサイトによると、「雷光が稲の実を結ばせるという信仰があった」としており、現代においてはなるべく遭遇したくないネガティブな事象である「雷」も、「稲」の「妻(夫)」という、ポジティブな語を用いることによって、「稲妻」という自然現象に親しみが込められているように感じる。
中国語では「避雨」というらしい「雨宿り」といった言葉もそうであろう。
科学技術が発達した現代では、神々への信仰こそ失われつつあるものの、依然として山に入ってキノコや山菜を採取したり、海からは魚の命をいただいている。
日本人は太古から現代にいたるまで、常に自然から恩恵を与っており、「手つかずの自然」は、目に見え、臭いを嗅げて、触れることが出来る、日本人にとっての「自然」なのではないだろうか。
これが本当であるのであれば、日本人の心や、日本語という言語に美しさを感じずにはいられない。
他の言語では?
記事を執筆していく中で、「他の言語はどうなのであろう?」と気になって、英語と他の言語を公用語とし、自然が豊かであろう国…
そう、カナダのサイトも確認してみた。
こちらは、カナダ観光局のサイトである。
サイトがマルチリンガル仕様となっているので、まずは冒頭ページの一文の日本語版をご覧いただきたい。
ご覧のとおり、「自然」という言葉が2回登場する。
では、カナディアン英語に切り替えてみよう。
日本語の「自然」に対応する箇所を確認すると、「natural beauty」と「untouched wildness」という言葉になっている。
「natural beauty」という語が使われているのに少し驚いたが、文法的に解像してみると、名詞はbeautyであり、形容詞がnaturalである。
つまり、「美しい自然」ではなく「自然的な美しさ」ということだろうか。
いずれにしても、国が違っても「nature」を名詞としては使わないようだ。
では、最後にカナダのもう一つの公用語であるフランス語を見てみよう。
私にはフランス語はわからないが、何となく対応していそうな部分はわかる。
そして、「la nature」という、名詞と思しき「自然」が登場している!
フランス人には「自然」が見えるのだ!
おそらく言語史的には、フランス語の「la nature」が先に存在し、それがイギリスの英語に「nature」として持ち込まれたと思われるので、目に見えるはずの「自然」は、イギリス国内で失われてしまったのであろう。
なんて残念なんだ、イギリス…!
おわりに
気軽に書き始めたつもりが、ちょっとした大作となってしまった。
それでも、自分がテキトーに考えたことを、文字に起こしてみるのもおもしろい。
繰り返しになるが、これは私の勝手な妄想であって、根拠となる参考文献などは一切ない。正確性は全く保証されない記事である。
この記事をご覧の方に、英語や言語学に通じた方がいらっしゃるのなら、是非ご意見やご批判を頂戴し、あるいは参考となる文献等をお示しいただけるとこの上ない幸せである。
果たして私はいつになったら、満足に英語を扱うことが出来るのだろうか…。