尾瀬あきら『ぼくの村の話』感想 中(続き)

さて、4巻で老人行動隊は老人決死隊に名前を変え、閉場が決まった、牧場の閉場式に東京の公務員に請願を行う(1969年8月か?)のですが、公務員に誤魔化されます。で、気まずい雰囲気になったあたりで「閉場式粉砕!!」と東京の大学生たちが派手に会場をぶっ壊すんですよ。で、東京の大学生に従うと千葉の老人は従うと。なんか悲しいかなと思ってしまいました。千葉って千葉大学ありますよね?完全スルーっすよ。あ、たしか1文字出てきたな。

へ~千葉大学にもまともな教授がいたんか~

くらいの扱いで。


話し戻って、こっから老人決死隊は新左翼とズブズブになるんんですが、普通は知らんが私が老人決死隊ならドン引きですよね。むしろ「やりすぎだ!」と止めますよ。老人たちはせっかく「老人行動隊」から「老人決死隊」に名前を変えて、血の連判状をこしらえて最後の決戦に挑んだのに、明治大帝に頭下げて新左翼に頭下げて「反権力のために、右のピーから左のピーになります!」って言ってはるんですよ。

実際には、さらに深い事情があったと思いますが、、繰り返しますが取材源の制約などの諸事情により書けなかったと思います。作者は現実の成田空港諸問題を解決するための成田空港問題円卓会議(前身の成田シンポジウム)にもしっかり参加してはります。運輸大臣(今の国土交通大臣)が対話して、開催したものなんでいい加減なものではありません。もちろんシンポジウムの議壇に登った学者先生の家が銃撃されたり、放火されたり、1988年と数年前には千葉県土地収用委員会会長が新左翼の活動家の集団リンチに合い、ほぼはんごろしにされたり(後に自殺)非常に物騒だったんで描けなかったという事情かもしれません。


そんな取材から生まれた作品が、「右から始まり左になった運動」の経緯をぼやかすあたり、何らかの思想的な懐柔があってそれが上手く行ってたんじゃ?って思うんですよね。本当に戸村委員長?だったかが宣撫工作をやったんかよく知らんけど。全7巻中5巻読了したけど、コペルニクス的転回ですが、まあここらへんは資料読まんとわからんやろなあ


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