one day photo_24:デッドパン写真
読書メモをつけているのですが、久々にそれを見返してみると自分の好きな写真のジャンルの中でも細かい差異があるんだなというのがわかりました。
シャーロット・コットンの本とかでも書かれるデッドパンの形式が好きで、そういう類をいろいろ見るようにしていたんだけど、今のところ自分の中では特徴的な人達が下記のように分類されるなぁと。
大判カメラの作法に従いデッドパンだがドラマチック
→リチャード・ミズラック
→畠山直哉
→マイロヴィッツ
→アレック・ソス
→米田知子
→ステファン・ショア
このへんは似てる気がする、畠山さんは著書の中でちょうどミズラックが出てきたころに大学生だったということもあり、ミズラックを見てたんだろうけども。IMAのホンマタカシの災害写真コラムでも類似が指摘されてたけど、この二人は静の構図ながら物語性やメッセージが強いと僕は思う、大好き。(ホンマタカシの郊外も似てるけど、あれはもっと冷めてんだよなぁ……)
アメリカのニューカラーの系譜っていうんでしょうか、好き。
幾何学造形的に風景を変換するシュルレアリスム的なやつ
→柴田敏雄
→北島敬三
柴田敏雄はデッドパンかといわれると……シャーロット・コットンはそう分類してたからそれに従おう。目の前の世界から抽象的造形を引っ張り出す写真がすっごい柴田敏雄、なるほどこれが機械の眼を通して新たに知覚される世界か~と唸る、見てて楽しい。北島敬三はもっと無味無臭なんだけどアンタイトルレコード見てると時たま画面内の分割が抽象絵画的なものが出てくるのでここはなんか自分の中では同じタイプに思えた。ルイス・ボルツ系なんでしょうかね。
無味無臭、本当に虚無が広がってるように見えます……。
→トーマス・シュトゥルート
→ワルター・ニーダーマイヤー
ヨーロッパとアメリカってこんなに違うのかというのを感じさせてくれたのはシュトゥルート先生。構図の作り方とかは大判の作法に従いながら、本当に無味無臭に感じるというか。解釈をさせないような強度が凄い……。
これは好きじゃないなって思わせてくれると同時に、こんなに違いがあるんだなぁというのを教えてくれた。
10月が恐ろしく忙しく、ほぼ読書は出来ず。かろうじて北井一夫「信濃遊行」、野川かさね「山と写真」あたりを読んだけど、どちらも求めてたものではなく。自分って形式主義のスタイルをとりつつドラマ性がある光や空気感があるものが好きなんだなぁと再確認。ショアの本でも読みながら年末まで過ごそう……。
野川かさねさん好きだったんだけど、ホンマタカシの系譜ということもあってかなんか90年代末期の儚さ的なのがこのあたりの人たちの絵作りってあるような?と思えた。山と写真に出てくるピンクテープの写真がなんていうか哀愁漂ってて、奥秩父あたりに行きたくなる。
というわけで前回以後撮影した日々の写真ですが、大体Z5+40㎜かX-T4+23㎜f2で撮影。プラウベルマキナのつもりで、石川直樹や畠山直哉になった気持ちで「目に見えるものだけ撮ろう」みたいな感じで歩きたいなーっていう感じで撮影してた。超広角とかもはや売っていいのでは……という気持ちになっている。
9月は実家でニペソツ山に登ってみた、やっぱり北海道の山はいいよ。
10月に入って蓼科山に行ったけど、大河原峠から歩くと最高なのね。
新幹線で四阿山に行ったり、家族で湿原に行ったり。
金城山最高、だけど道が……スリップなマーダーロードなのでお勧めできない。
牛の寝通りを歩いて紅葉終了
朝全然起きれなくなったけど、日の出が6時。時期的に霧が出やすいのでそろそろ生活リズムを朝方にしたい。
登山ブログを書いたり、山で写真を撮っています、登山写真で気が付いた技術をひたすらつぶやきます。