365日毎日写真を撮り続けて気が付いた、成長に大切なこと。
こんにちは、登山ブログを運営しているRedsugarです。
普段はブログで自身の歩いた山の記録を記事として公開させていただいているのですが、山で撮る写真をレベルアップさせるために、写真の勉強もしています。
この記事では写真の練習の一環として、365日毎日写真を撮り続けるということをしてみた結果得ることができた教訓や、成長というもののとらえ方のお話をしたいなと思います。
技術的な話は一つもないです、ただ日常の過ごし方や、もっと早く気が付いておけばよかったなという心持を書いていきたいと思います。
まず365日撮影するという、それなりに根気というか「もし一年間、一日1時間や30分でもいいから好きなことに打ち込めばどうなるだろう」という現代人が良く考えることの実践の結果のような記事です。
まず初めに、何かを上達するために1年365日毎日何かをしてみようと、未来の自分に期待して借金を背負わせようとしている方、お勧めしません。
強い義務感と責任感が行きつく先はうつ病です。
365日何かをする、という目標自体には意味がないと思ったほうがいいからです。
そのうえで、この先どうやって好きなことと付き合っていけばいいのかな
ということを少し考えてみたというのがこの記事になります。
1年間続けて考えたことなので、有料にしようかなと思います。
目次を読んだうえで興味があれば、見てもらえると幸いです。
■GR365、1年間「続けるべき」か「続けたい」のか
・周りの人もやっているからで始めた
・続ければきっと上手くなるは正しいか
・自分を痛めつけることは成長ではない
・責任感と義務感を発揮する場所は自分で選ばないと痛い目を見る
■目標に固執することの危険性
・手段である目標と、達成したい目的、根本を見よう
・自分よりも先を走る人をどう見るか
■目標と目的の違い
・目的は成長することで、365日はそのための手段なはずだった
・鈍化する成長をどうやって打破するのか
■好きなことをつづけるために
・周りの楽しいと自分の楽しいは違う、NOと言う
・持続可能な形で成長するために自分で決める
twitter上で#sugarpractice というタグでやっていた365日撮影、中間報告的にnoteでは週間の振り返りなどを一時期やっていました、雰囲気を知りたい方は、下記のリンクから記事を見てみてください。
2023年の追記分を文末に追記しました。
この記事とは反対のことを言っているかもしれませんが、年間120冊くらい書籍をあさった結果、上達や競争といったものから距離を置けた心持といいますか、自分なりに写真を見るときはこういうことをするといいよ、ということを追加しています。
■2023年8月追記内容の概要は下記
この記事を書いてから、購入してもらった人たちにとってもっと有益な情報を伝えなくてはという悩みに苛まれたこともありまして。
多分これを購入してくれた人は「そうじゃなくてうまくなる方法の何かを書けよ」と思ったと考えているので、その辺を書きたいと思います。
といったものの、私はプロや作家ではないこともあり、食べるためにとかそういう視点では書けませんし、上達に関しても偉そうなことは言えません。
ただ一つ、写真を撮ったり見たりの中で周囲との比較による悩みや、SNSで苦しめられるような観点からは脱出するということは書けるかと思います。
なんで上達とそれが関係あるのかというと、上達と知識、知識に伴う写真史や写真市場、芸術市場とSNSや一般社会との関係性を認識すると、自分の目的地点や立ち位置、周りの人が言っていることの価値がわかってくるようになるからです。つまりすごそうだけど別にすごくない人、すごそうに見えるけど別に価値はないものを見抜けるようになると、安心できるようになった。ということをこの記事を書いた後に経験したからです。
1.GR365、1年間「続けるべき」か「続けたい」のか
周りの人もやっているからで始めた
twitter上のTLにいつしか流れてくるようになったGR365というタグ、気になってみればそれはGRIIIの発売以降見られるようになりました。
最初にやり始めたのは誰か等は良くわかりません、当初私から見て写真が上手だなという印象を持っていた方々が始め、TL上にはその日撮影した写真がほぼ毎日アップされるようになりました。
当時僕は登山のブログを書きながらも行き詰っている状態でした、それは今も解消はされていないのですが、当時は特に写真技術の低さや、目的や目標をもって「成功しなければならない」、周りに認められたいという気持ちからひどく焦っていました。
そんな中、TL上では様々な人が日々の練習や、絶景をアップしていきます。
それを見て、なぜ自分はああなれないのだろうかという気持ちだけが募ります。
その中で周囲と同じように365日毎日撮影するような練習を自分に課せば、何か変わるのかもしれないという考えに至りました。
結果これは、大失敗に終わります。
続ければきっと上手くなるは正しいか
365日毎日撮影すれば、毎日写真のことを考え続けていればうまくなる。
これはある意味で正しいのですが、ある意味では正しくないです。
楽しく、夢中になれるうちは人は階段を楽に上がることができます。
ですが、必要に駆られて「やらなければならない」という気持ちになった時に、楽しいから続くという良い方向に事は進まなくなります。
毎日成長しなければならないのに、先月より、先週より、昨日より何がうまくなったのだろう、なぜうまくならないんだという後ろ向きの姿勢になっていくのです。
365日撮影を始めた僕は、緊急事態宣言位からだんだんと「なぜうまくならないんだろう」という気持ちと「飽きてきた」という気持ちに苛まれます。
飽きた、というのは何事においても辞め時を作る感情ですが、この飽きとは
行為自体に飽きたのではなく、成長しない自分に飽きたということが多いのではないでしょうか?
昨日と今日やったことが変わらないから、成長して昨日よりもいい所を認識さえできれば、きっと飽きることはなかったんでしょう。
人は成長さえ実感できれば楽しい、楽しければ続ける。
成長とは発見や、出来なかったことの克服などがあると思いますが……。
私は残念ながらそこまでのことを意識することなく、ただ漠然と日々「上手くならなくてはならない」という気持ちを胸に撮り続け、徐々に神経をすり減らしていきました。
夏を迎えるころ、季節が変わり空気の質が変わってきたことや、朝露が出来なくなったという外的要因のせいでいい写真が撮れなくなったと思い込むようになっていたのです。
そして7月、1年という「目標」が見えてきたこともあり、続けることはより強制力を持って僕の行動を締めあげていきます。
続けることは上手くなる、それは楽しく前向きに続けていれば。
そうではなくなったときに、続けることはただ苦痛となり「やめる」きっかけを作ることとなります。
自分を痛めつけることは成長ではない
365日撮影を行う、途中から苦行になったその行為ですがそれでも終わったころにはきっと何かが変わると思い、眠くても朝起きて撮影に行く。
撮りたくない日もあの手この手で撮影しようとレンズを変えフィルターを変え外に出る、疲弊する中で頭を使って自分を立たせることにより
僕はどんどん写真を撮るということが嫌いになっていきましたし、TLや身近な人たちを見るのも辛くなっていきました。
結果として365日を終えた後に残ったのは達成感ではなく、なんて無駄なことに時間と金を使ってしまったんだろうという徒労感でした。
周囲の人はおめでとうと言ってくれるのですが、不思議なもので全くうれしくないし逆にひどく恥ずかしい気持ちになったことを覚えています。
さらに言えば、365日続けた結果、体感として成長したかといわれれば、周囲に誇れるような成長は実感できませんでした。
そして、カメラの扱いや、写真を撮る上で理解すべき基礎的なことができなかったことが僕を絶望の底へと叩き落したのです。
義務感と責任感を発揮する場所は自分で選ばないと痛い目を見る
元々好きで始めたことが、いつしか自分自身がそれを全うするための義務感により好きではないことになり辛くなる。
好きなことを仕事にしたら嫌いになるというような典型的なことが僕の身に起こったのです。
僕は現職が好きなことで生きていくような、趣味を仕事にしたような仕事をしていたこともあり、過去の自分の制作人生でも似たようなことを乗り越えてきたのでこんなことになるとは思ってもいませんでした。
365日撮影する、ある程度続けていくと記録が途切れることへの恐怖感が生まれてきます。「あいつ結局続かなかったな」「やっぱりできなかった」そんな風にきっと周りから言われるだろう。
そういうことを考えたり「続けることが出来なかった自分」という自分を見てやっぱり根気がないなとか、ダメだったなという未来を受け入れれるだろうか?これまで続けてきたんだから頑張らないといけないんだ、もったいないだろう。
これらはすべて、自分が「欲しいと思って選ぼうとした目的」とは全く無縁のものですが、渦中にある人間からしてみたら思考を狭くさせる十分なプレッシャーになります。
僕は365日結果的に毎日撮影を欠かすことなく行ったので、それなりに義務感と責任感は強いほうなのでしょう、ただ、これは本来の目標を考えれば
発揮される必要がむしろないものだったのだと思います。
いわゆる、ただの思考停止に陥って「練習すれば上手くなる」という状況に陥っていたのです。
頑張れば報われる、多くの場合それは思考を放棄しているということではないでしょうか。
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登山ブログを書いたり、山で写真を撮っています、登山写真で気が付いた技術をひたすらつぶやきます。