【短編】七日後の完全犯罪 六話
沢木源一(四十二歳)松栄屋主人。
沢木ヨネ(三十九歳)松栄屋女将。
鈴木市子(二十三歳)松栄屋従業員・接客。
広田良江(三十二歳)松栄屋従業員・接客。
富田昭三郎(三十五歳)松栄屋従業員・調理場。
田中康三(二十六歳)酒屋従業員。
加山幸(三十四歳)旅館従業員。
広岡清太(二十四歳)清掃員。
名前を見た途端、開口一番晴子は「無理です」と告げた。
「ん?」
「だって八月十四日って、すごっく忙しいんですよ! ウチで働いてる皆は休みがあったら寝るとか言うほど疲れてるし、ってか今も疲れてるし。田中さんも、加山さんなんて旅館ですよ。絶対無理。清太お兄ちゃんなんてずっと動いてるんですよ。殺人事件とか、みんな無理です!」
語気を強めに断言された。
「確かにこの事件はアリバイが全員あっての未解決事件だからなぁ」
「さっき言ってた“怖いの”がやったんじゃ」
その問いは憂志郎が即答で否定した。
「縁害で起きるのは人間同士の、はっきり言っていざこざだ。だから必ず人間が手を下したものになる」
「じゃあ、容疑者八名以外の人ってことは?」
憂志郎はゆっくり煙を吐きながら「それもある」と返し、少し間を置いて「場合もある」と加える。
容疑者以外の人間が殺害したケースも縁害案件ではありえる。しかし容疑者として浮上した人物は大いに関係しているため、結局はこの中から犯人、もしくは共犯者を捜さなければならない。また、一人とも限らない。
「きっとこの八人以外よ!」
「断言は禁物。大きく関わってるだろうからな」
吸い終わった煙草を灰皿用の瓶へと入れて蓋をした。
「晴子ちゃん、この八人にも他の人にも言ったらダメだから。盆祭りは楽しみたいでしょ」
徐ろに立ち上がる憂志郎は鞄と冊子を持った。
「俺が近くにいれば助けに入れるけど、そうでなかったら」
「あ、そうだ」
唐突に晴子は部屋に来た理由を思い出した。
「お昼ご飯出来たんで、一緒に食べましょう。捜査はその後で」
「おーい、俺の話」
「今日は素麺に、おかずが小アジの唐揚げの酢漬けですよ」
あからさまに無理やり話を終えたいと推察できる。楽しそうに憂志郎の背を押して部屋を出ようとするその姿は、捜査に協力する気に満たされていた。
昼食の最中、予約客の話を切り出したヨネの口から沖島郷三郎の名前が挙がると、昭三郎は僅かばかり眉をひそめた。淡々と材料手配の確認が済むと無事に話は終わるが、その場にいた源一と良江と晴子からはどこか気まずい雰囲気が見て取れた。
昼食を終えて各々が持ち場へ戻り、憂志郎は晴子と共に外へ出た。
「食事中、なんか空気悪かったけど、なにかあった? とくに富田さん」
「やっぱ気づいた……」
富田昭三郎は元々都会の料亭で働いていた。十代の頃から板前として働き続け、一人前となるも、五年前に来店した沖島郷三郎に魚のうんちくを聞かされた。
話の合間合間に間違った情報を耳にしたので昭三郎は指摘した。自らの非を認めない郷三郎は食ってかかるように言い返すも、料理と食材に関して間違いを貫かれるのを嫌う昭三郎も負けじと張り合う。
口論となるまで発展した二人を、料亭の店主と郷三郎の側近が止め、その場は収まるも、数日後、この騒動の償いとして昭三郎は十二年も世話になった料亭をクビになる。裁判沙汰になるか昭三郎をクビにするかの選択を店主が迫られたからだ。
力に負け、仕方なくも身を退くことになった昭三郎は郷三郎へは憎悪を抱いている。
店主の紹介で松栄屋を紹介してもらい働く事になるも、夏と冬に利用する郷三郎へは従業員一同、昭三郎と郷三郎を会わせないように気を使っている。
郷三郎への憎しみは強いものの、料理に関して手を抜かない昭三郎は、仕事と私情を交えずに取り組んでいた。
昭三郎の過去を聞いた憂志郎は、これを動機だと直感する。
「すっごく恨んでるかもしれないけど、富田さん、人を殺すなんて考えられませんよ」
「晴子ちゃん、声が大きいから気をつけてね」
忠告されて口に手を当て、周囲に誰かいないかを確認する。
歩調が早い憂志郎の機嫌が悪いのかと思った晴子は質問を変えた。
「羽柴さん、そもそも縁害ってなんですか?」
事件のことを優先しすぎて、初耳の単語が何かを求めた。
「縁の障害さ。本来の流れに沿わない事象に巻き込まれて起こる災い」
言われても晴子の頭にはクエスチョンマークは増える一方であった。
憂志郎は例え話を考えた。
「晴子ちゃん想像してみて、たとえば四ヶ月後に病死する男がいたとしよう。寿命としてな」
晴子は頷いて状況を想像した。
「しかし縁害により寿命を向えずして一ヶ月後に殺されてしまう。そうなると本来生きるはずだった三ヶ月の間に出会う人間との縁を迎えられず終わる」
「どうなるんですか?」
「もし男が常日頃から家に籠り他人と会う機会が少ないなら縁害は弱く、多ければ強くなる」
「けどこれって、他人と会う機会が殆どないってなったら縁害は起きないってことですか?」
「そんな簡単じゃないんだが、問題は被害者だけじゃないって話だ」
「被害者だけじゃないって、他に誰が?」
「縁害で加害者となった人間さ。本来なら殺人を起こさずに生きていたんだ。けど縁害により殺人を起こした、一生罪の意識に苛まれ続ける未来へ足を踏み入れてしまうからな。警察に捕まれば親族も加害者家族として生活にも影響が及ぶ。これがどういう縁害か分かる?」
加害者、その家族、身内だけでも、本来そうはならなかった三ヶ月分の未来が劇的に変わり、不幸の未来へと路線が切り替わる。関係する縁だけでもかなり多い。
「被害者と加害者、双方の縁害はかなり大勢の人間に影響を及ぼし未来を変えてしまう。それで、修正作用が色んな形で働いちまう」
「修正? 生き返ったりするんですか?」
「死者は絶対蘇らないよ。自然災害、人災、事故。晴子ちゃんの好きな怪談もその一つだよ」
「え?! トイレの花子さんとか本当に出るんですか!」
さすがにそれは出ないときっぱり断った。
「怪談は稚拙な表現だな。部屋で話した”怖いの”がその類いだ」
話の途中、耳を劈くような“キィィィン”と、耳鳴りのような音を二人は感じた。
「え、なに?」
「……あ、まさか」
思い当たるのは一つしかない。
憂志郎が走り出すと、気になって仕方ない晴子も後に続いて走った。
この異変は奇怪案件に他ならない。その対象は初日に松栄屋で相席し、奇怪案件対象者の宇川洋佑だ。
◇
八月七日に松栄屋で憂志郎の話を聞いてから、洋佑の頭の中は誘いトンネルしか考えられなくなった。
馬鹿なことだと否定する意識も働くが、次第に『死者と会える』魅力に支配されてしまい、家へ着く頃には誘いトンネルがあるものだと決めつけていた。
一人暮らし用の借家へ帰宅し、置物やゴミが散らかる台所を通り自室へ入ると、足でゴミを払い仄かに湿る万年床へ寝転がり光清町の地図を開いた。
「トンネル……、トンネル……」
呟いて○印を付けていく。数は三つ。
逸る気持ちが先行しようとするが、夜に動いてしまえば不審者と疑われて捕まると、冷静に思考は働いた。それでも会いたい故人との再会を夢見てしまう。息が苦しくなる葛藤に打ち勝った洋佑は誘いトンネル探しを無理やり我慢した。
布団に寝転がり電気を消して目を閉じる。まだ寝るには早い時間だが、起きていては家を飛び出してしまいたくなってしまう。こうしている間も、忘れられない誘いトンネルを想像し、トンネルの先にいるであろう女性の姿が浮かぶ。
「……穂香……」
つい、先日亡くなった女の名前を呟いてしまうほど気持ちは強い。
七話
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