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【長編】怪廊の剣士 一話

あらすじ

妖鬼、悪鬼が住まう霧に満たされた異界・怪廊かいろう。人間の住む世界とは別世界である。特別な方法でしか入れない怪廊へ、剣士ルシュは干渉できる体質を持っている。それを活かし、怪廊で悩む者達を助ける旅をしていた。 玖陸の地、第八小国イザにて、将軍の息子ラオから妹のシャレイを救ってほしい依頼を受ける。相手は怪廊に潜み一族に憑く化け物だ。 同時期、ルシュと周りの者達を誑かして渡り歩く、怪廊に住まう導師・宜寂ぎじゃくも不穏な動きを見せ始める。 仲間と協力しあい、宜寂の思惑に警戒しながらも、ルシュはシャレイに憑く化け物に挑む。

本編


 急な吹雪に見舞われながらも山越えを果たし、麓の町を一望出来る所へとルシュは辿り着いた。
 冬真っ只中の大山。旅の道中、何度も経験した過酷な雪山越えだが、準備万端であってもなかなか馴れない。毎度毎度、旅を続けるルシュも命がけを意識してしまう。
 不運を嘆くも、嘘のように雪が止み曇天の隙間から覗かせる青空が視界に広がると言葉を失った。意表を突く心地よい風景に山越えの疲労が和らいだ。

 立ち寄った小屋は旅人の休憩場所である。冬には囲炉裏の火に薪を焼べて冷えた身体を温める。そのまま町へ向かう者もいるが、今のルシュは早く身体を温めたかった。
 先にいた飛脚の男はルシュを見て迷った。濃緑色の長袖服に土色の長ズボン、笠を被り外套を纏う姿は男性さながらの出で立ち、歩く姿に堂々として逞しい武人らしさが滲みでて見える。
 しかして顔は女のよう。なんと声をかけて良いか迷うも、外套を脱ぎ、やや膨らみのある胸部を見て女だと判明した。
「お前さん、こんな時期に山越えを?」
「ん? ああ。次の依頼で麓の町へね。吹雪はさすがにまいったよ」
 ルシュが火に当たろうと傍らに剣を置き、手を翳す。早くに訪れたつもりが予定より二日遅い到着。それでもまだ余裕があるのは長年の旅で時間配分の勘が磨かれいる証拠だ。
 飛脚の男は剣に目が移った。それは滅多に無い、木彫りの模様を描いた鞘であったからだ。
「珍しい鞘だな」
「大事なまじないが施されてるんだ。手形代わりにもなる」
 普通ではない事情だけに、何やら面倒な訳ありだと男は思った。火に当たるルシュの顔からも、修羅場を潜り抜けてきた雰囲気が醸し出されているのか、男はこれ以上恐ろしくなって聞けなかった。
 まだ暖をとりたい甘えを払い、男より先にルシュは小屋を出て町へと向かった。日暮れまでに到着しなければ色々と面倒だからだ。

 ◇

 どうにか夕方には町へと辿り着いた。
 足をとめ、曇天から漏れる薄茜色の陽光に照らされる景色は、ついつい見蕩れさせてしまう魅力があった。長旅で各地を回るルシュも、やはり不意に見せる絶景には時間を忘れて見入ってしまいそうになる。齢二十八。十八の頃はそれで山越えが遅くなり、野獣に襲われた苦い記憶もある。今では慣れ親しみもあり、自制もしっかりと働く。
 一息吐くほどの合間だけ眺め、足早に宿へと向かった。あまり遅くなりすぎると部屋を取れなくなってしまう。そうなれば諦めて野営をする覚悟はあるが、山越えの疲労をできる事なら宿の布団で癒やしたい想いが強かった。
 この時期は宿が取りやすくあるが、油断すると取れない危険も孕んでいる。春に行われる祝いの催し準備に訪れる者の為に部屋を貸すということもあるからだ。

 駆け足で町へ向かう最中、真冬の雪原にでもいるような冷気を肌で感じて立ち止まる。
(――どうして?! まだ日が……)
 剣の柄を握り周囲を警戒する。
 慣れた危険な雰囲気。しかし今まで感じたモノより冷たかった。
(悪鬼か……いや、しかし)
 感じた空気はよからぬ存在の証。人間の住む世界ではない異界の空気。そこでは人間に害を成す化け物が住んでいる。
 体質から空気の雰囲気でどのような化物かをルシュは分かる。長旅の経験から、その容姿や攻め方が分かる。対処法も身に染みついている。これは九赦梨くさりの地の化物、悪鬼だ。大抵は猿の形が変異したものが多い。しかし今いるのは玖陸くろくの地。化物の雰囲気も変わるのだが。
 悪鬼を警戒する中、またも冷たい気が押し寄せる。睨みをきかせるルシュの吐く息は白くなる。
 この空気は危険だと直感が働く。それ程の脅威たる化物がいる証拠だ。
 この地で何かが起きている。ここまで自然現象を発生させる奇怪はかなり厄介であるからだ。

 周囲の時間が止まったように静まりかえると、斜め左から迫っている気配を感じた。
 飛びかかる何かを視界に捉えると、足を運ばせて身体を反転させ剣で受け流した。
 茂みへ黒紫色の何かが潜るのを見送ると、再び態勢を整えた。
(悪鬼じゃ、ない?)
 容姿は四つ足の狼を変異した玖陸特有の化物。
(妖……鬼、か?! だがなぜ?)
 空気は九赦梨、化物は玖陸。過去に経験のない事態に遭遇した。
 戸惑う最中、今度は右の木の上から飛びかかってきた。気配に気づいたルシュは足をかがめ、転がって躱し、中腰で態勢を整え、相手を見定める。
 妖鬼の容姿は、全体像が狼、頭部のあちこちから角を生やし、剥きだしの牙は鋭く長い。ギョロギョロと動く一つ目。似た類いは見るが、一つ目は初めてだ。
 妖鬼は再び突進の姿勢になると、今度は左右の木々の間から飛びかかってきた。さすがの不意打ちが二体同時に迫るので、ルシュも躱す際に頬と腕にかすり傷を許してしまった。

「グルルルルッ……」
 獲物を狙う獅子のような鳴き声を三体の妖鬼は涎を垂らしながら発す。
(三……いや、四体)
 最初に突進した妖鬼が傍らから現われる。
(こいつは骨が折れるねぇ)
 経験から狼の容姿をした妖鬼の攻撃方法を推測する。噛みつき、突進、引っ掻き。動きは素早く、間が空けば突進で速度を増す。
 行動は読めた。相手の素性も明かされ、他に潜む気配はない。
 対応策は、攻めてきたら斬り捨てる。簡単そうだが、油断すると踵を返した妖鬼が深手を負いながらでも攻めてくる危険を大いに孕んでいる。妖鬼はどれほどの深手を負わせても動くので絶命させるまで油断が出来ない。
 連携を取られれば長丁場。読み違えがあれば致命傷の危険は大いにある。

 ルシュは集中した。対処も動きも分かったとて楽では無い。すべからく苦闘すると。
 四体の妖鬼は、嫌な予想通り連携を取ってルシュを囲って襲う動きに出た。一匹の獲物の逃げ場を閉ざして仕留める戦略。
 相手の気配を読み、ルシュは身体と剣を動かして二体の突進を受け流した。三体目が真っ向から突進するのを躱そうにも、進行方向からも攻めてくる。躱せない、受け止めれば別の奴に噛みつかれる。
 対応策として上体を翻し、一体を蹴り飛ばしてもう一体を斬った。感覚では胴を寸断した筈だが、結果は腕を斬って飛ばしただけである。速度を調整され、致命傷を免れている。それでも深手だが、足を切り落とせていないのは嫌な結果である。
(硬い)
 手足が硬いと武器を構えた猛獣を相手にしているほどに厄介。連携もとり知恵も回る。
 難敵であった。
(……どうするかねぇ)
 剣を構え、姿勢を整える。
 再び妖鬼達は散開し、今度は木々の後ろへと潜む。出方が見えない状態で一斉に襲いかかるとあらば対処が非常に困難。さらに危険度が増した。

 より一層の集中をする最中、嫌な声を耳にする。
「……愉快愉快」男の低い声だ。
 声の主を知るルシュの表情が反射的に険しくなる。
 周囲の風景が揺らめくと、間もなく濃い霧に覆われた岩石地帯へと変わる。
 妖鬼達は狼狽え、震えだし、一カ所へ集まる。
「やれやれ、愉快ゆえに近づき過ぎた。怪廊が開いてしまったなぁ」
 筒袖に着流しの道服を纏う男が左の大岩へ凭れていた。
 ルシュは切っ先を男へと向ける。
「何を企んでいる宜惹ぎじゃく
 宜惹のやや垂れた目には、どこか反応を探る印象が窺える。
「ご覧の通り、ただの静観だ。お前の成長を楽しんでいた」
「こいつらはお前が放ったのか」
「連中が命令を聞ける類いではないと知ってるだろ?」
 顎を動かして別の存在を指した。
 宜惹へ警戒しつつ、ルシュは指す方へ目を向けると一瞬で驚愕した。濃霧の中に三点の緑色の光を放つ黒い影が揺れていた。
「なん、だ?!」
 全容がまるで把握出来ない。どういった類いの化け物か検討もつかない。

 黒い塊から、大きな手が伸び、四匹の妖鬼を一同に掴んだ。
「ギャン、ギャン。ギャ、ギャ……」
 握りつぶされ、人間よりも茶色に近い血が溢れ妖鬼達は絶命した。
 手が引っ込むと、狼の化け物達を汚らしく貪っているような、骨が砕け、肉が潰れる音がする。
「……アレは何だ」
「ご覧の」言って何かに気づき、卑しい笑みを浮かべる。「……ああ、そうだな。まだ来て間もなかったな」
 呟きがルシュの癪に障った。しかしどう反応しても意味が無い。宜寂は全てを話さないから。ルシュの苛立ち、怒り、憎悪。あらゆる反応が愉悦とばかりに堪能に徹して言葉をかける。口車に乗れば泥沼へ引きずり込まれる苦境へと陥る。どれほど悔しくとも憎くとも冷静に感情の起伏を鎮めるのみ。
 表情を変えず小首を傾げた宜寂は告げた。
「これは忠告だ。深入りせんほうがお前の身のためになるぞ」
 言葉の締めくくりとばかりに霧が濃くなり、宜惹を含めて周囲を白く染めた。
 やがて流れるように霧が晴れ、元の山道へと戻る。

 何かがこの地で起きている。これは予兆かもしれない。
 不安を抱きつつ、ルシュは町へと向かった。

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