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【短編】七日後の完全犯罪 十話

 風呂屋から帰宅した憂志郎は、部屋の窓を開け、網戸越しに煙草の煙を外へ吐いた。今日は夜風が微かに吹き込み良い心地にさせる。
 全員の動機を探ろうにも、全員が酷く憤りを感じる様子を示さなかった。不満がある程度だと感じられる。
(普通、本心隠しながら生活するわなぁ)
 これで犯人が分かれば苦労はしない。ここ最近携わった縁害案件は抑えるのも必死な憎悪が日常生活にも現われていたから見つけやすかっただけで、本来はこれほど難しいのだと思い出す。
 動機から目星を付ける作戦は失敗に終わった。なら、誰が一番犯行しやすいかに焦点を当てた。
(沖島郷三郎を刺し殺す。現場で背後からブスリ、もしくは別の場所で刺して遺体を運ぶ。方法だけは単純だ)
 沢木ヨネ、広田良江、加山幸。この三名は細身で、目算で八十㎏以上はありそうな沖島郷三郎を運ぶのは無理がある。共謀した場合は二人。現場に残る草履の足跡から明確だ。
 男性陣で推理を巡らせると、やはり一人で犯行に及び運ぶのは無理がある。
 誰が犯人であれ複数犯が濃厚だ。
 考えている内に疑問が生じた。
 わざわざ別の場所で殺して人目につく脇道へ置くより、空き家や納屋で殺して火を放つ、もしくは埋める。見つかる前提を考慮していたとしても、人目につかない茂みなどへ隠せば発見を遅らせ証拠隠滅の時間は充分に取れるだろう。
 そうしない。結果は背中を刺して脇道へ置き翌朝遺体が発見される。こうしなければならない自然な理由は何か。
 現場で殺して運べない。
 遺体は見つけて貰わなければ困る。
 犯行現場あの場所で見つけて貰わなければ困る。
 いくつか案が浮かぶも、一番自然な理由は現場で殺したと憂志郎は考えた。

(殺害方法もシンプルだよなぁ。背中をブスリ。二回刺してようやく即死できたってところか。つーか、背後から忍び寄って刺すって、結構至難の業だよな)
 犯行現場で刺し殺す点から考察を深めた。
 何度も現場を下見し、想像を膨らませ続け、人がいない時に何度も練習をしたなら可能かもしれない。しかし背中から思い切り刺すと声を上げられる可能性がある。なら、口を押さえて刺す、とすれば片手で行わなければならない。
 男性陣は背格好や腕力から考えても、理論上では全員行えるかもしれない。女性陣は身長差もありほぼ不可能。
 どうあれ殺しのプロではない一般人にこの犯行は考えにくい、練習する暇も無いので尚更無理である。
(誰であれ厳しい。けど成り立った。アリバイが全員あって、無事に完全犯罪になってる。だとすれば……)
 容疑者八名の資料に目を向ける。大きく煙草を吸い、大量の煙を吐いた。
(沢木夫婦が一緒に載る理由は共犯と考えられる。……いやいや結び点けるのは安直すぎるか。それに容疑者となってアリバイ成立って、晴子ちゃんが絡んでるのか?)

 考察の最中、部屋の扉が開いて晴子が入ってきた。

「晴子ちゃん、ノックは大事だよ」
「しましたよ。けど返事ないのに煙草の臭いするから、窒息してるんじゃって思って。お母さんがご飯一緒にしよって」
 憂志郎の返事は質問を優先した。
「あ、丁度聞きたい事があったんだけど」
「なんですか?」
「この中で仲が良いとか、よく一緒にいるのって知ってる?」
 返答にはやや時間がかかった。言いづらそうな様子が見て取れる。
「……え、と」
 無理もない。これから起こる犯行、両親や仲が良い大人達が関わり、そして奇怪案件の現場も見たのだから。
「……晴子ちゃん、結構きついでしょ」資料を晴子から離した。「まあ、身内が絡む犯罪だから気持ちは分かるよ。晴子ちゃん、もう犯人捜ししないほうが良いかもね」
「いや、そういうんじゃなくて」
 憂志郎は徐ろに立ち上がる。
「怒ってないよ、むしろここまで協力してくれてありがとって話」
「あ、私……」
「飯にしよ」
 温和な表情で返され、晴子は何も言えず部屋を出ることにした。


 日が落ち、周囲が薄らと暗くなる。
 外灯が灯り始めた頃、晴子は一階の自室の窓からこっそりと家を出た。すぐに戻るので構わないと考えている。
 宿題を言い訳に部屋に籠っていると言えば誰も部屋に入ってこない。なにより、今日は忙しいから誰も晴子を見に来ないだろう。
(こうなったら、沖島様を)
 思いついたのはただの助言。怪しまれないよう、怪文書を沖島郷三郎の車へ貼り付ける作戦へ打って出た。
 松栄屋から清月館まではそれなりの距離はあるが、道はすべて外灯に照らされて人通りも多い。人目につかないところを通るわけではないので安心して往復出来る。
 晴子は走った。いくら部屋に誰も入ってこないとはいえ、それは可能性でしかない。早く用事を済ませて帰宅し、何食わぬ顔で宿題をしなければならなかった。
 息が切れ、途中で呼吸を整えてまた走る。
 日頃からよく動いているから体力には自信があった。二十分もあれば往復は出来る。人目を盗んで車に怪文書を貼り付ける時間も踏まえると合計三十分で済む。
 頭の中で時間配分をしながら、犯行に及ぶ緊張感が高まった。
 三十メートル先の三叉路、そこを右へ曲がれば清月館へ到着する。
 これから行うのは相手へ恐怖を与える犯行だ。しかし沖島郷三郎を守り、身内となる容疑者八名の誰かを守る為の犯行でもある。自分が僅かに手を汚し、誰も死なない、誰も手を血に染めない未来を迎える為に。
 また足を止め、呼吸を整え、今度は決心を固めて静かに、大きく呼吸した。

(よし!)
 意を決し、角を曲がった。
 突然の異常事態を前に晴子の計画全てが消し飛んだ。それどころではなくなったのだ。
 眼前には見慣れない光景が広がる。
 普段なら木板の壁が並び、外灯が点在するところが、木々が茂る真っ暗な土の車道。蛙、牛蛙の声が其処彼処そこかしこから鳴り、水滴が水面に落ちる音がする。耳を澄ませると微かに雨が雑草や木々に落ちる音も。
 今日は夜も晴天。なのにこの暗がりの一本道だけが、しとしとと雨の降る空間になっている。
「なん、で?」
 ジワジワと恐怖が心を染めていく中、思い出されたのは誘いトンネルの行脚僧。憂志郎はもう会わないと言っていたが、あれに似た存在がいるかもしれない。
『“怖いの”が現われる』
 これが“怖いの”の正体。
 存在ではなく光景が。
 晴子は後ずさり、頭の中で“逃げろ!”と意識が働いた。
 振り返った矢先、完全に恐怖が支配した。
 後ろも前も、右も左も、光清町ではなくなっていた。


 夕食後、その異変を感じ取った憂志郎は鞄から小さな箱を取り出し、慌てて料亭を出た。途中、従業員と女将からどうしたのかと尋ねられ、煙草を買いにと返す。
 何が起きているか、誰に起きたのかは分かるが、なぜ起きたのかは分からない。ただ、急がなければならないのは確かだ。


 暗い一本道。月明かりもなく、湿気の多い草と土の匂いとが混ざる。冷ややかな空気。
 何処にも逃げ場は無く、怯え震える晴子は心細くなる。
「どうしよ、どうしよ、どうしよ……」
 ウロウロしてもどうにもならないのは分かっているが、この場から移動したい気持ちはある。しかし、どこかへ行けば戻れなくなると不安が決めつけてしまい動けない。
 ペシャ、ペシャ、ペシャ……。
「きゃっ!?」
 咄嗟に口を手で押さえた。
 足音。泥濘んだ道を歩く、恐らくは裸足だと思しき音がした。
 こんなところに真っ当な人間がいるとは到底思えない。そう思考が働くも、晴子は進行しようとした側の道を見る。
「……え」
 つぶやいた。それは恐怖ではなく、遠くから明かりが近づいているのだ。それは外灯の明かり。一つ一つ、しっかりと灯りだす。
 この怖い光景は少しの間だった。だから、遠くから元の光景が戻ってきているのだと判断する。
 安堵の息を漏らし、近づく外灯の明かりを待つ。
 けど違った。
「ひゃあっ!」
 目を見開き、両手で口を強く押さえて息をのんだ。
 道の真ん中に、黒く胸元まである長い髪を垂らして顔を隠す人が佇んでいた。
 服は汚れて元の色合いが分からない。その汚れもなんなのか。
 足は裸足。足下は泥濘んだ道。
 ペシャ…。
 一歩近づいてきた。
 この存在が、先ほどの足音の正体。
 ペシャ…。
 蹌踉よろめきながら歩くその者は、力なくだらんと垂らす両腕とは別に、背中からも腕を伸す。
 人間ですらない化け物。
「……い、や」
 晴子はとうとう涙が溢れ出た。すぐにも叫んで逃げたい。そして判明する。前方の外灯に照らされた光景は清月館前の道ではない別の道だと。
「たすけ」
 突如口元を押さえられる。前方の存在と同じ存在が現われたと、恐怖した矢先、囁かれた。
「静かに」
 憂志郎だった。
「怖かったら目を閉じて。絶対喋らない」
 救われた安堵、恐怖から解放された。そう思うも、風景は変わらない。
 憂志郎はジッと近づいてくる“怖いの”を見つめる。
 晴子は憂志郎の服にしがみつき、黙って震えた。
 ペシャ…、ペシャ…。
 近づく足音に恐れ、耳を塞ぐ。

 突如、シャリリーンと音がした。
 そっと目を開けた晴子が目にしたのは、左手を伸ばし、細い紐で結ばれた水琴鈴すいきんすずを憂志郎が鳴らしていたのだ。
「羽柴さ」
 止めようと声を出すも、シッ、と告げられ黙った。真剣な憂志郎から、この鈴は意味のある行動だと判断した。
 鈴を鳴らすと、“怖いの”が足を速め近づいてくる。次第に長髪も不自然に靡いて揺らめき、顔面が露わとなる。
 さすがに晴子は見れない。
 ”怖いの”の顔は真っ黒で両目だけが見開き、ギョロギョロと眼球の焦点が合わずに動いていた。
 シャリリーン。
 ペシャペシャペシャペシャ。
 鈴の音に反応して近づく足音。
 すぐ近くまで迫ると、憂志郎は鈴を道から外れたところへ投げた。すると、“怖いの”は道を外れ、草むらの中へと消えていく。

「今のうち、逃げるぞ」
 憂志郎の囁きに従い、晴子は立ち上がって来た道を戻る。
 数歩進むと、濃霧から出たように光清町の風景が現われた。
 戻った先は松栄屋近くの商店前だった。
「ふぅ、危ないところだ。んで、何しようとしたの?」
 晴子は素直に従い、怪文書の手紙を黙って渡した。
『八月十四日、外へ出たら大いなる災いが降りかかるだろう』
 一文のみの手紙を見て憂志郎の反応は溜息だった。これで沖島郷三郎を旅館から出さず犯行を阻止する。
 少女の小さな犯罪に呆れた。
「この程度の怪文書でじっとしてると思うか? あのおっさんが」
「……だって……」
「これで分かったと思うけど、あれが“怖いの”の正体。襲われて気を失って、八月十五日以降に目覚めるから死にはしないけど、もう一回遭いたいか?」
 返事は真顔で必死に頭を左右に振られた。
「もし何かしたいってなったら一人でしないこと。まあ、出来ないけど」
 晴子は頷き、憂志郎の服を掴んだ。
 よっぽど怖かったのだろう。今にも泣きそうな表情である。
「仕方ない。買ってやるからどれか選んで」
 そうは言うが、煙草の自動販売機なので晴子の返事は「吸わないでください」であった。
 それでも憂志郎は煙草を買い、晴子と一緒に松栄屋へ戻った。こっそり抜け出したので、晴子は途中で裏口へ回り自室の窓から戻る。

十一話


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