【短編】七日後の完全犯罪 十一話
八月十二日午前九時十五分。
憂志郎は寺の釣り鐘の傍の縁石へ腰かけ煙草を吸った。
動機から犯人の目星もつかない。
犯行現場から誰がどう動くか想像もつかない。
当日のアリバイがどうなっているか知らないので崩すなど到底無理。
犯行当日は繁忙期の真っ只中、なぜ犯行が達成出来たのか不思議でしかない。
一つも解決しない謎だけが山積みだ。
(さぁ、いよいよ分からなくなってきたぞぉ)
大きく煙草を吸い、ゆっくりと大量の煙を吐いた。それで煙草が切れ、昨晩買った物を開けようにも忘れてきたと気づき、残念に思いながら喫煙を諦めた。
(犯行は至って単純。ただ刺すだけだ。こればっかりは凝ったトリックなんてのはない。けど、どうやったら容疑者八名の誰かが犯行起こして完全犯罪できんだぁ? まともな神経してないだろ。繁忙期に、人殺して、警察騙してサービス業? サイコパスみたいな奴に任せたとかか?)
共犯者がいる前提を想定してみても、なぜ八月十四日なのかが分からない。それぞれの職場は繁忙期、そうでなくとも人が多くなる時期だ。沖島郷三郎は二十日までは光清町に滞在するという松栄屋従業員達の情報から本宮の十五日を過ぎたら町から離れる人が多く、十六から十九日の間なら犯行は十四日より安全だろう。
十四日でなければならない理由。
憂志郎が思いついたのは、共犯者がいる前提で、十四日しかこの町に滞在出来ない、もしくは十四日の夜しか時間がない、である。同時に疑いも抱く。
急いで犯行しなければならないなら、もっと沖島郷三郎を調べ、機会をうかがえばいい。いずれ隙を突けるだろう。
そう考えて連想されるのが八人の普段の姿だ。
犯行に及ぶ殺意を抱えつつも、平然と日常を、誰からも不審に思われる事なく過ごしている。そういう人間だと言ってしまえばそれまでだが、もしかしたら犯行に及ぶまでは憎しみが至っていない可能性も考えられた。
夜中に出くわし沖島郷三郎の心ない発言を引き金に、積もり積もった恨み辛みが爆発、突発的な犯行。運良く完全犯罪に至るとしても、やはり犯行後に平然と暮らせているには無理がある。
振り出しに戻る。
頭が痛い考察の最中、煙草を吸いたいが吸えないもどかしさ、苛立ちを増長させる夏の暑さと蝉の騒音。
困難を極める考察を切り上げて憂志郎が立ち上がると、立ちくらみをした。
視界が安定するまで視線を落として立った。
何も考えない時間の最中、妙な違和感を覚えた。
(……あれ? なんだなんだ?)
何かを見落としている。何かは分からないが重要な何かを。
ようやく立ちくらみが治まり、違和感について考えている最中、住職が歩み寄ってきた。
「お兄さん、ここで煙草吸ってなかったか?」
「あ、ああ……、すんません」
さすがに吸ってはいけないと思ったが、憂志郎以外の誰かの吸い殻が散見される。
指差して言い訳のように自分以外も吸ってるとアピールするも、住職はやや険しい表情となり大きく息を吐いた。
「まあ、太鼓やら音頭の練習で屯する連中が吸っちゃいるが、本当は寺で吸って吸い殻捨てるもんじゃないぞ。掃除は大変だし罰当たりだ」
「すんません。以後、気をつけます」
「それよりちゃんと火は消してるか? 最近、火事が多いから」
「煙草の消し忘れですか?」
「さあな。放火事件って噂もあるが、火の始末が出来ん奴はどんな言い訳でもするからなぁ。点けた火はちゃんと消す。大人の常識だろ」
「仰る通りで」
ヘラヘラと愛想笑いを浮かべて頭を下げた。
ふと、憂志郎は気になった。
「あの、すいません。この辺って、この時期は火事が多いんですか?」
住職は「うーん」と声を漏らして考えた。
「……一番は冬か。乾燥してる時はよく燃えるからなぁ。この時期は」
一番近い、吸い殻を指差した。
「煙草の不始末。こういった土や石にこすりつける分にはまだいいが、無意識に投げ捨てたところが枯れ草の中だったり。草刈りして溜めたところとか燃えるゴミの中か。だからお兄さんも煙草の不始末は気をつけてくれよ。お盆に火事とか勘弁してほしいから」
「ははは、分かりました」
住職が去って行くと、憂志郎も寺の入り口へと向かう。
火事。それなら繁忙期でも仕事を止めることが可能だ。松栄屋へ火を放ち、八月十四日に。
そこまで考えて新たな疑問が浮かぶ。
松栄屋が火事になり、その夜に殺すのは突発的な犯行で完全犯罪は無理では?
さらに想像が膨らむ。
火を消すために多くの人が出てくる中、殺人事件へ及ぶのはかなり危険だ。突発的だとしても沖島郷三郎が動くとは思えない。
悩みながら寺の石段を降りる最中、数人の大人が集まって話す光景を目にする。その人達は同じ方を向き、二人が指さしている。
憂志郎もその方に目を向けると、煙が上がっていた。
「何があったんですか?」
想像は付くが三人で話をする男性達へ確認をとると、案の定、火事が起きたと知らされた。
別の男性は、隣町でも数日前に火事が遭ったと言い、火炎瓶による犯行かもしれないと、確証の無い噂まで口にする。
「おい、あの辺って、人多いんじゃないか?」
「あぁ、今行ったらかなりごった返してるだろうな」
煙が上がる所は松栄屋がある方角だ。
松栄屋従業員達が気がかりで憂志郎は走った。容疑者八名は無事だろうが、名前の無い者達の安否は不明だ。
もし松栄屋が火元となり大火災が起きているなら。
もし晴子が逃げ遅れているなら。
もし昨晩の怪奇現象のせいで、本来外出するはずだった晴子が家に残り、火事に巻き込まれたなら。
悪い方へと想像が働いてしまう。
こういう時の為に確認する道具は鞄の中に入っているが、使用するにも現場で使用しなければならない。
死ぬはずのない命なら助けなければならない。
憂志郎は呼吸を乱しながらも全力で松栄屋へと向かった。
現場は消防員と地域の消防隊員が協力して火消しに当たっていた。離れたところだが野次馬が密集している。
野次馬の壁に阻まれて通れず、憂志郎は近くの人に事情を確認した。その質問に「松栄屋は無事か」と加え。
返答から現場が松栄屋ではないと返され、ひとまず安堵する。
「噂じゃ、急に民家が激しく燃えたとか」
火の不始末でそこまで燃えるだろうか。可燃性の燃料が撒かれて燃えるなら可能性はある。もしそうなら、先ほどの噂通り誰かが火炎瓶を投げ入れたかもしれない。
「羽柴さん!」
振り返って視界に入る晴子の姿に、安堵して気が緩んだ。
「良かった。無事で」
「二つ隣の家が燃えて、皆で避難したんです。それで」噂を広げないよう、憂志郎の耳元で囁いた。「放火事件かもしれないって」
やはり放火事件。
「火の手はどこまで?」
「分からないけど、ウチも危ないかもって。だから……」
晴子を源一とヨネが呼びに来た。避難場所へ向かうからとあり、憂志郎も向かう事になった。
落ち着いた場所で入った情報では、隣町で相次いだ放火事件が光清町でも起きたのだという。火の回りが早く、松栄屋も危険が及ぶとあって避難に至った。従業員、客共々、無事に避難できた。
この一件により、松栄屋従業員が容疑者として扱える条件は満たされた。
十二話
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