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【長編】奇しき世界・八話 薄暗い夕方に

1 奇跡のシナリオ


 一月二十五日。
 未だに『ルールを司る奇跡』からのゲームは起きていない。

 スズリの一件以降、”巽には助力を得ない”と腹を括っていた斐斗だった。 
 しかし、流石に宣告だけされて何も起きないと不安になり、岡部に無理を言って静奇界へ連れてきてもらった。

「お前は寺に籠って座禅修業か滝行して毒抜きせにゃならんぞ」
「なんで俺が毒塗れ扱いなんですか。俺だって心底会いたくないって思ってますよ」
 建前ではなく本音である。
「じゃあどうして?」
「奇跡の進化時を始めて体験して身に染みたから。何が起きても役立つ情報を蓄えないといけない」
「あいつに会うぐらいなら聖地巡礼で身綺麗にした方が幾分かマシだろ」

 どうやら何を言っても、岡部の巽嫌いから来る言葉が返ってきてしまう。
 そうこうしているうちに、巽のいる建物が現れた。


「お前の希望に副える情報はない」
 斐斗の顔を見た途端、巽は告げた。
 離れた位置からはっきりと聴こえるのは、瞬間移動同様、巽の力なのだと思われる。
「俺、まだ何も言ってませんよ」
「『運命』の次は『ルール』を司るときた。お前がここへ来る用事など、その存在についての情報を求めるぐらいしか考えられん」

 斐斗も予想していたが、的中しても嬉しくはない。

「けど、何か情報を頂きたい。さすがに何も備えていないと」
「不安で仕方ない。か」
 心の中を見抜かれ、悔しく思うも黙った。
「私に何か訊く間があるなら、お前が溜め込んでいる奇跡の数を増やして備えればいいんじゃないのか?」
 その方が有意義であると斐斗も考えた。しかし、ルールを司る奇跡が敷く基準に、『奇跡の使用制限や不使用』などの、縛りを与えられたら奇跡を集めた意味が無意味と化してしまう。

 理由を巽に告げた。

「ほう。それも賢明な判断だな。奇跡か情報か、有意義であるほうにここを選んだわけか」
 手にした本を閉じ、斐斗と向かい合う位置に瞬間移動した。
 斐斗も慣れ、突然近くに現れても驚かなくなった。
 巽は指を鳴らすと向かい合う一人がけのソファを三m程の間隔をあけて出現させた。
「座れ」と命令し、斐斗は腰かけ、巽も向かいのソファに座った。

「質問だ。なぜ奇跡の進化時なる時期が存在すると思う?」
 いきなり難問を投げつけられた感じである。
 斐斗は悩むも、当然ながら本気で分からない。
 知らないのだから。と、当てずっぽうで憶測を述べた。
「奇跡の更新時期みたいなものですか?」
 巽の鋭い視線が向けられた。
「三分の一正解。だろうな」
 正解に掠(かす)るとは思えず、斐斗は素直に驚いた。

「お前は奇跡に寿命や死という概念が存在する事を知ってるか?」
 初めて聞く内容に、表情から初耳だと伺える。
「死の概念と言ったが、消滅と言い換える方が正しいのかもしれんな」
「どういうことですか? 俺のリバースライターも、叶斗のヘブンも、同居人たちの奇跡も、陽葵の体質もいつかは消滅すると?」
「ああ。才能型の力は子孫が絶えれば消滅、もしくは、生まれた子に力が備わなければ終わりだ。お前の力も、江戸・明治時代は現代と名前も性質も変わっていた」

 先祖代々、リバースライターを使用していたという思い込みが覆された。
 時代背景から、名称変化はあっただろうが性質は同じだと決めつけていた。

「奇跡の消滅理由は寿命よりも状況によるものが大きい」
「状況とは?」
「多いのは捕食だ。強い奇跡が現れると吸収される。立つ向かっても弱ければ喰われる。弱肉強食のような事が起きる。これは才能型だろうと関係なく奇跡が消える。お前のリバースライターとて例外ではなく、喰われれば力を失う」
「そんな事が頻発してるんですか?」

 巽は鼻で嗤った。

「お前の周りではよく起きてるぞ」
 まさかの内容に言葉を失った。
「まず鳳凰の名を与えられた双子、歪な奇跡を同化した母親。その者達が動けば弱小なりに敵意を抱く奇跡は進んで喰われに向かうようなものだ。昨年には蜘蛛の化物染みた奇跡も喰われた。中々にして歪んで育った奇跡だったがな。喰われたことで人間への被害は激減した」
 斐斗の知らない所でそのような事が起きてるとは、思いもよらない。
「次にお前が役割を書き換え、愛執に満ちた奇跡を宿した者。五十嵐耀壱と言ったか? そいつは動く度に他所の奇跡の生活環境を変えている。歪な奇跡を備えてるが故に害異のある奇跡が寄り付いて危害を及ぼそうとする。けど、お前が書き換えた奇跡は寄り付く存在を喰って消している。強力で禍々しいが、見事に人間に害を成さずに成り立っているのは感服する。無意識とは言え、お前らは平和に貢献しているぞ」

 それ程までに奇跡が消滅していくと、奇跡の生態系が崩れるか不安であり、その志を告げた。

「当然、頻繁に消滅が起きれば変化は起きる。今回の進化時もその影響が大きく関わっている」
 つまり、斐斗がしてきた人助けの影響で、変化が起きる。と結びつけられる。
「お前は表情を読みやすいな。嘘はすぐ見抜かれるだろ」
 焦りと心の思いが見抜かれ、視線を逸らして動揺を誤魔化した。
「こう思っているのだろ、『俺が助けた事で奇跡の進化時を招いた』と」
 見事に的中された。
 責められるとも思ったが、違う言葉が返って来た。

「その考えは杞憂だ」
「どこが杞憂なんですか」
「”お前の行動により起きた事象。その先、大量の奇跡が消滅していく”その一連の流れは、主観的に見れば”お前が起こした影響”となるが、奇跡そのものの流れで見れば、それは奇跡の起こり得る未来だからだ」
「そんな……、決まったシナリオって事ですか?」
「そうだ」堂々と即答された。
「しかし内容は漠然としたものだ。お前の近場を例に挙げよう。
 まず双子とその母親。お前が助けなければ、土着の神を巻き込んだ奇跡と人の大量消失が起きた。
 次に五十嵐耀壱。お前が書き換えなければ、愛執に溺れた奇跡が多くの奇跡を巻き込み消滅しただろう。
 このように、奇跡という存在の未来は大きな消滅か、そうでないかの波の上を泳いでいるようなものだ。”お前が助けたから事が起きた”のではない。この時期が進化時である事実は変わらず、その時期に必要なシナリオはおのずと成される。人間如きが良い悪いの判断を下す発想は自惚れだ。
 奇跡はそこまで人間の感情でどうこう影響される存在ではないからな」
「じゃあ、カノンやスズリ、ルールを司る奇跡の出現はどう説明するんですか」
「必要だから産まれた。ただそれだけだ」

 簡潔すぎる答えであった。

「この先、ルールを司る奇跡がどのような行動を起こそうと結果は決まっている。お前が勝とうと負けよと同じ。前回の進化時から贄となっていった奇跡共が起こす進化だ。誰にもどうする事も出来ないその進化を受け入れるだけ。ルールを司る奇跡はお前が蓄えた奇跡やら、今まで培った考察力を遺憾なく使用し、どうにかしろ」

 部屋の輪郭が揺らぎ始めた。制限時間に達した。
「ではな千堂斐斗。健闘を祈る」
 巽の言葉を最後に、斐斗は静奇界から出された。

2 アパートにて


 巽からはルールを司る奇跡の情報は得られなかった。
 奇跡の進化時の現象なのだから、真っ当な情報がられる期待は薄いから、そもそもがダメ元なのだが。
 斐斗は仕方なく、カノンのアパートへ向かい、集めた奇跡達がどういった性能を備え、どのように使えるかを考えようと決めた。

 千堂家からアパートへ向かうには、駅前公園を通らなければならない。そこで斐斗は陽葵と再会した。
 本日は陽葵を呼んで家ですき焼きを食べる約束があった。そのため、早めに千堂家へ訪れ、家事の手伝いをしようと陽葵は考えて早めに来訪した。
 奇跡絡みとは言え、奇跡の品を集めているアパートへ向かうと説明しても、疑われる危険性があった。
 いくら陽葵が浮気を疑わないとて、今の斐斗の行動は奇跡に関係していない者から見れば不審な行動でしかない。
 いらぬ誤解を抱かせない為に連れて行動する事にした。

「ここが斐斗君の部屋?」
 カノンや奇跡の雑貨の物置部屋の扉前に辿り着くと、陽葵はジロジロと眺めた。
「普通の部屋ね」
「当たり前だ。奇跡が関係しててもこっち側の風景に変化はないからな」
 そして、奇跡不干渉体質の陽葵が来ると、奇跡が憑いたモノは活動できないのだから、いくら扉に変化があっても元に戻るだろう。

 斐斗がカギを開けて中に入ると、案の定、カノンは消えている。
 もし、カノンがいた場合、浮気を疑われるだろう心配は、取り越し苦労で終わって安堵した。

 陽葵は無人の部屋にも「お邪魔します」と言って入った。
 リビングルームへ入り、玄関からは死角の壁沿いに並べられた品々を見て、感心するように驚いた。
「おぉ~。よくこれだけの物を」
「俺一人じゃない。組合の連中も手伝ってくれてこれだけ集まった」
 陽葵は部屋を見回した。
「あれ? カノンさんって人がいるって……」
「陽葵の影響で今は消えてる。広沢一家や耀壱と違い、彼女らは奇跡の存在だから影響はモロに受ける。死んだ訳じゃなく、姿が見えなくなったり力が伝わらない程度だから問題ない」
 頷いて納得した陽葵は、品々を眺め、不意に気になった扇子を手に取った。
「こうして見ると普通の扇子なのにね」
「そういうもんだよ。俺だって、そこにある物は変わった見え方しないし、力も使用し難いように部屋が出来上がってるから、そいつらはただの物だ」

 陽葵は人形を手に取り、次に花器を手に取った。
「……この花器、模様が綺麗ね」
 斐斗が視線を向けると、目を疑う光景が映った。
 花器を持つ陽葵の背景が、奇跡憑きの物が置かれた壁ではなく、高層ビルの屋上から見下ろした街の光景である。
 風が吹き、陽葵の髪を揺らした。
「――危ない!」
 咄嗟に斐斗は、両手で陽葵の腕と花器をそれぞれに掴んで引き寄せた。
 引き寄せて気付いたが、風景からは風が吹くものの、こちらからは向こうに行けないらしい。その様子が、風景前に置かれた人形の動きで判明した。
 風が吹いて動いてはいるものの、人形が風景側に倒れると壁に凭れている様子である。

「……何? ……外?」
 陽葵もどうやら見えているらしい。
「君も見えてるのか?!」
 訊くと、風景が元に戻った。
「……斐斗君……今のが奇跡?」
 呟くように訊かれた。
 斐斗はいよいよルールを司る奇跡の起こすゲームが近いと悟った。

3 ゲームの序章


 千堂家への帰宅は気が気でなかった。
 斐斗はどこから何が起きるか分からず、陽葵を気にしつつ周囲を見回した。
 陽葵は離れないように手を繋がれてる事が恥ずかしくもあったが、人の多い所では自分が先頭に立って歩くから、その時だけは手を離すように提案した。
 手繋ぎを嬉しく思う反面、気恥ずかしい思いを隠せない判断であった。
 奇跡を初体験した興奮と、斐斗が気遣う喜びに、陽葵は顔が熱く、赤くなっているか心配であった。
 双方、思いの違う帰路は、何一つ異変が起きる事無く済んだ。

 午後四時。

 帰宅した斐斗達を出迎えたのは、真鳳と凰太郎であった。
 陽葵が来た事で喜びを露にした双子は、陽葵を世界して和室へ導こうとした。しかし、斐斗に制止され、敢え無く遊べなかった。
 陽葵は台所へ行くと、早速美野里を手伝った。
 今日は平祐が早く帰ってくるらしく、加えて、懸賞金で買った高級牛肉ですき焼きを食べれるとあって、美野里も平祐も待ち遠しく気合が入っている。
 叶斗や耀壱達にも連絡はしたが、叶斗はプライベートの用事があって無理と言われ、耀壱は了承するも、まだ千堂家にいない。

 突然、斐斗のスマホが振動し、画面を見ると叶斗から電話がかかってきていた。
 誰にも聞かれないようにと、外へ出て電話に出た。

「兄貴忙しい所すまねぇ」
「いや、全く暇だ。どうして忙しいと?」
 些細な事も気になる程、斐斗は見えない存在に警戒している。
「はぁ?! 忙しいんじゃないのか? 昼間っから何度も電話したし、今も三回かけてようやく繋がったんだぜ」

 耳を疑った。
 陽葵を気にして帰宅はしたが、スマホの着信に気付かないとは思えなかった。昼間からというが、何度か着信や時間を確認したが、叶斗からはかかっていない。
(これも、奇跡が……)
 不安を抱き、叶斗の要件を訊いた。

「何かあったのか!?」
「光っちゃんが見当たらねぇんだ! 兄貴のとこに行ってないか」
「いや来てない。消える時期じゃないのか?」
「三日前に済んだ。連続して起きないから別の理由だと思うし、何度電話しても出ねぇんだ」
 つまり、スマホを持って消えた事になる。
「喧嘩とかしてないか?」
「しねぇよ。今朝も、明後日水族館行くのが待ち遠しいからって上機嫌だったし」
 なぜ光希がこのタイミングで消えるか疑問であった。
 斐斗の身内に影響を及ぼすなら、ルールを司る奇跡の仕業と考えられる。

「おう斐斗!」
 帰宅した平祐が正門を通った。
「今日は――……」
 突然、斐斗の目の前で平祐が消えた。
 電気を消すような一瞬で、平祐が消えた。
「……平祐さん」
 小声で呼んだ斐斗の声を叶斗は聞いた。

「兄貴、平祐さんがどうしたんだ。なんかあったのか?」
 もう、考える余地もない。ルールを司る奇跡のゲームが影響しているとしか思えなかった。
 突如、家の中から複数の食器が落ちて割れる音がした。
「叶斗すまん。一度切る」
 兄貴と呼ぶ声を無視して、斐斗はスマホを切って家の中へ入った。

 台所から廊下にかけてすき焼き用の野菜が散らかり、和室に向かう通路にはお盆と割れた食器の破片が散らかっている。
「――陽葵!」
 斐斗は台所を一瞥し、誰もいない事を確認すると和室へ向かった。
 和室には玩具が散らかり、真鳳と凰太郎の姿が無い。
「真鳳! 凰太郎! どこだ!」

 叫び、耳を澄ませて声を聞こうとするも、何も聞こえない。廊下の方からも音がしないから部屋から出たとは思えない。
 夕食の準備中は和室で遊ぶ習慣をつけていたから、他の部屋に行くとも思えないし美野里が止めるだろう。
 その美野里の姿もない。
 双子ならともかく、美野里は夕食の準備を陽葵としていた。
 野菜や割れた食器が散らかってるなら、真っ先に片付けるだろう。
 平祐が眼前で消えた例と関連させても、広沢一家は消えたと考えるのが妥当である。

「……斐斗……君」
 廊下を見ると、割れた食器の近くで陽葵が倒れ、無理やり起き上がろうとしている。
「陽葵!」
 駆け寄り、抱き上げると、陽葵は動くのが苦しそうに、震える手をゆっくり動かして斐斗の服を掴んだ。
 乱れる呼吸、全身が薄れる陽葵。只事でないのは一目瞭然である。
「どうした! 何があったんだ!」
「分からない」小声である。「突然、皆消えて。私も、消えかけて」

 しかし、斐斗が和室に行く時に陽葵の姿は無かった。一度は消えたと思われた。

「消えた時。真っ暗で。怖い」
「しっかりしろ! 俺が何とかする!」
 リバースライターを使おうと構えた。
 陽葵は渾身の力を振り絞って構える手を握った。
「――駄目」
「……どうして」
 なぜ陽葵が止めるか分からない。

 陽葵は直感で手を止めた。理由は分からず、説明は出来ないが、なぜか力を使わせると危険だと判断した行動であった。

「斐斗君。……何か大事な事、隠してるよね。仕事の事で」
 ルールを司る奇跡の話は陽葵にはしていない。
「何か分からないけど。……ちゃんと解決しないと。……だから」
 陽葵の身体が足元から消えていく。
「……待ってるから。……皆を助けて」
 斐斗は陽葵の身体を抱きしめた。
「ああ。待ってろ。必ず救ってやる! 絶対助けるから!」
 安堵の笑みを浮かべた陽葵は、胸元まで消えているのに気付いた。

「斐斗君……」
 思い切り服を握られるのを斐斗は感じた。
「……怖い」
 震える手、震える声。
 陽葵の顔を見ると涙が零れた。
 それを見た途端、陽葵は完全に消えた。温もりも感触も気配もすべて消えた。

 残されたのは静寂と、確かにいたという記憶だけ。

 和室には、これから楽しい夕食を待ち構えているかの如く、蛍光灯が明るく部屋を照らした。反して、通路には惨劇の余韻と、壊れた食器、散らかり食べれない野菜が燦然としている。

 暗くなる廊下は、斐斗に孤独と絶望を際立たせた。

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